初の中国人作家の芥川賞受賞ということで話題の楊逸『時が滲む朝』。アメリカのハ・ジン、イーユン・リー、フランスのシャン・サら、自国の外で活躍する中国人作家が注目を集めているが、ついに日本でもそんな作家が登場したわけである。世界中のチャイナタウンの隆盛を見れば一目瞭然だが、中国の人、目標到達への意識が半端ではないですね。
さて『時が滲む朝』、その内容はというと…。浩遠と浩強という高校生。彼らは親友同士であり、揃って成績優秀。二人して秦都の大学に合格し、将来、国のために役立つ人間になるべく勉学に励んでいた。やがて吹き荒れた民主化要求の動き。その急先鋒は大学生であり、彼らも国を愛する一心でそこに参加した。そしてあの天安門事件。民主化運動は壊滅させられ、失意の最中、彼ら二人は、民主化運動などより今日食べるご飯のほうが大事、と主張する街の人たちとつまらないケンカを起こしてしまい、退学させられる。将来への希望に胸がはち切れそうなほどであった若者は、一転、大学の寮から街へ放り出された。予想だにしなかったどん底生活を味わった後、浩遠は日本の東京で生きる道を選び、浩強は秦都で起業家への道に踏み出すことになる。
輝かしい希望に満ち、やがて苦渋を嘗めさせられる若者たちの青春記なのである。芥川賞の審査委員でもある石原慎太郎都知事が「たんなる通俗小説」と切って捨てたが、民主化要求運動・天安門事件という中国という国の根底に係る出来事を背景としていながら、血なまぐさいドロドロした描写はないし、彼らの心理描写にしても生きるか死ぬかの本当にギリギリのところまでは迫っていない。「通俗小説」との表現は当たっていよう。わずか150頁の作品なので、といこともあるのだろうが、楊逸はそもそも生きるか死ぬかの作品を書く人ではないというのが実のところなのではないだろうか。『ワンちゃん』も読んで、そう思ったのだ。
『ワンちゃん』は、中国人女性(もちろんワンちゃん)の物語。中国で洋服の店を出し、大成功目前までいくのだが、亭主がグータラだった。まったく働かず金を無心するばかり。そしてモデル以上に男前のこの亭主、お決まりの浮気へ至り、なにもかにもイヤになったワンちゃんは、中国を離れるために、好きでもなんでもない日本人と結婚した。生来の事業欲を持つワンちゃんは、姑の面倒を見つつも、中国人女性と日本人男性の結婚仲介業に乗り出す。そんなところに、ワンちゃんの苦い恋もからめつつ、といった話だ。
『ワンちゃん』には実はもう一編収められている。『老処女』という作品。こちらも中国人女性、万時嬉(ワン・シューシー)が主役。(もちろんワンちゃんとは別です)。中国の大学を出て日本に留学。専攻は児童心理学。夢は日本の大学院で博士号をとることだ。しかし溢れんばかりの期待は、年々しぼんでいくことになる。論文が思うように書けず、指導教授に、博士課程をやめて助手になることを勧められる。数年後、今度は大学の中国語講師に。安定はしているが、望んでいた仕事ではない。気がつけば、恋の味も知らずに45歳になろうとしていた。
計3作品。すべて個人史である。楊逸は政治的なメッセージを発し、それを達成することには興味がないようだ。あくまでも個人の物語なのである。魅力は来日してから学んだ日本語のストレートで瑞々しい表現。浩遠と浩強の大学の入学当初の希望に満ちあふれた描写は、読んでいて眩しいほどだ。クサくなりがちなシーンであっても、そうはならないところもいい。そしていかにも中国人ぽい、しぶといユーモア感覚。これがいちばん味わえるのは『ワンちゃん』。
3作品の共通点はもっとある。輝かしい時期があり、やがて挫折を味わう個人の物語であるということだ。いってみれば古典的な骨格である。もうひとつ、物語の主役はみんな中国から日本にやってきている、ということだ。もちろん楊逸の経歴がそのベースにある。次作は、これらの構造から離れたところでの物語になるのではないか、と勝手に想像している。そこでもう一度、楊逸の真価が問われるのではないだろうか。
『時が滲む朝』の展開はいくらなんでも駆け足すぎる。だから☆がちょっと辛くなった。