1938年生まれだから、もうフォーサイスは70歳を過ぎたことになる。日本流に言えば古希を迎えたわけである。しかも、記憶をたどると、ソ連崩壊後のロシアを舞台にした「イコン」発表後、彼は執筆活動終結を宣言したはずだ。私としては惜しみつつも、その引退を納得していたところもあった。
フォーサイスの長編小説の一番の魅力は、めまぐるしく変化する世界情勢や実在の人物を、巧みにストーリーに取り入れてきたことだ。
フランスのド・ゴール大統領の暗殺計画を扱った処女作「ジャッカルの日」しかり。東西冷戦を背景として書かれた「第四の核」しかり。そしてフォーサイス自身が加担したと言われる赤道ギニアのクーデターを題材とした「戦争の犬たち」しかり。
フィクションとノンフィクションの狭間で見事なプロットを展開する作風が身上の作家に、古希にならんとする年齢になって、冷戦後の混沌とした世界情勢をベースに、さらなる長編を書けというのはきつい。きっと世界中のフォーサイスファンも同じ気持ちだったと思う。
だから、執筆活動をなぜ再開したかは知らないが、この翻意ほどうれしいことはなかった。新書コーナーに“アヴェンジャー”上下巻が平積みになっているのを見つけるや、裏表紙の粗筋を読むこともなく、レジに直行。
こういう本を抱えた会社帰りの電車ほど幸福なことはない。片手を吊り革に、さっそく上巻の1ページを開くこととなった。
主人公は“アヴェンジャー(復讐者)”というコードネームで「人狩り」を請け負ってきたベトナム帰りの弁護士。依頼人はボスニア紛争にボランティアとして参加し、行方不明となった孫を捜すカナダ財界の大物エドモント。
やがて、大事な孫の命を奪った者の名前が割れる。セルビア人民兵の親玉「ゾラン・ジリチ」だ。しかし「ジリチ」は、CIAにとって、ある大きなミッションを遂行するために、絶対に“アヴェンジャー”に渡してはいけない人物でもあった。
「ジリチ」はミロシェビッチという実在した独裁者御用達の殺し屋という設定だ。だから「ジリチ」の犯した犯罪や彼を見つけるくだりは、旧ユーゴスラビア崩壊の歴史を知らなければ理解できない。またアメリカや西欧諸国のバルカン半島に対する認識など、日本人には比較的遠いテーマにも踏み込んでいかなくてはならない。が、しかしそれはフォーサイスの小説の魅力の一つでもあるのだ。一段上の知的レベルを要求するスパイ小説、といったらよいのだろうか
上巻では、“アヴェンジャー”が「人狩り」のプロとなるべくした半生が抑制の利いた文章で語られる。
そして下巻ではいよいよ、南米にあるとされるサン・マルティン共和国の要塞に隠棲する「ジリチ」を狩る“アヴェンジャー”と、それを阻止しようとするCIA高官ポール・デヴローとの頭脳戦が始まる。
この頭脳戦を制していく“アヴェンジャー”の活躍がフォーサイスファンにはたまらない。“極上”のどんでん返しや罠の応酬が待ち受けていて、息をつかせない展開が続く。
上巻で打っておいた数々の布石が、時限爆弾のように一気に炸裂するわけだ。
やがてサン・マルティン共和国国境を突破した“アヴェンジャー”は「ジリチ」の要塞に迫る。
ここからの展開は、この小説のクライマックスなので語りません。フィクションだから、主人公に多少のご都合主義的アドバンテージがあるのは、いたしかたないと思ってください。しかしエピローグで、最後の布石がはじけた瞬間は圧巻でした。ニヤッとしたのは何もフォーサイスファンばかりではないはずです。