厚生労働省・安全衛生情報センターがホームページで「労働者の疲労蓄積度自己診断チェックリスト」(http://www.jaish.gr.jp/td_chk/tdchk_menu.html)を公開している。トライしてみたら、自覚症状、勤務の状況はともに4段階(数値が大きいほど高)で2、仕事による負担度の総合判定は、8段階で1だった。このチェックリストでは、負担度の点数が2以上であれば、「疲労が蓄積されている可能性があり」、「“勤務の状況”の改善が必要です」と診断される。6や7の人の労働レベルがいかに過酷なものか。想像以上に悲惨な状況の一部が、本書『強いられる死』の中で紹介されている。
いわゆる過労自殺を扱った本が最初に出たのは10年ほど前。川人博『過労自殺』(岩波新書)ですでに、過労死と自殺の狭間に位置する過労自殺の社会的背景が指摘されていた。しかしその後10年以上、成果主義や市場原理によって倦まれる激務やストレス、パワハラが蔓延し、多くの労働者たちが追い詰められている状況は改善されていない。
本書は、そうした過労自殺者の問題を中心に、多重債務問題、中小企業経営者の倒産、学校や自衛隊など閉ざされた世界でのいじめ、障害者自立支援法のひずみなどが網羅された自殺者の実相を探るレポートだ。
報道、資料の焼き直しではなく、個別の事件の関係者や遺族にも取材をし、自殺防止のために尽力している人々の生の声を拾っている。事実、著者は仕事を引き受けたことを初めて後悔したと告白しているが、そのやりきれなさが読んでいるこちらにも伝播するほどに、一行一行が重い。自殺者やその遺族への同情と加害者や会社組織への怒りが入り交じった、どす黒さいもやもやが湧き上がるのを止めることができない。
しかし、私がもっとも暗澹たる気持ちになったのは、自殺者の周囲にいる、パワハラを平然とやってのける低モラルな人間の存在である。人のことを言えた義理ではないが、部下を「お前なんか」「とろい」「やる気はあるのか」と人前で面罵したり、「辞めろ」「辞表を書け」と迫るなど、真っ当な社会人の所業とは思えない。加害者自身も、そうでもして憂さを晴らさなければやっていられないほど不幸なのかもしれないが、加害者には大抵、前の部署や会社でも部下を辞めさせた前歴がある。厚顔な人間が大手を振って歩く。日本人の美徳だったはずの礼儀正しさや道徳観、情緒を重んじる気持ち、思いやりはどこまで落ちるのだろう。
もちろん、立ち回りのうまい社員や従業員にばかり甘く、弱い立場の者を追放していく企業実態にも暗い気持ちにさせられる。労働時間管理に無頓着なくらいは序の口。抵抗の姿勢を見せても、さしたる改善は行われないし、場合によってはさらに自体はひどくなる。
H氏という上司を筆頭に、組織全体から異様な処遇を受け、自殺未遂を繰り返すまでに疲弊した新銀行東京の元行員のレポートは、単に彼の上司だったH氏の人格の問題では済まされない。本書を読む限り、言うとおりにしないと即刻解雇の恫喝を受け続けた果ての崩壊に間違いなく、いわば精神的な集団暴行である。上司等の個人からの攻撃が「パワハラ」で、組織ぐるみの集団いじめは「モビング」ということを、私は本書で知った。
ただ、本書自体が新しい切り口を突き付けてきて驚かせてくれるわけではなく、この10年の自殺傾向の総まとめといった感がある。すでにこの分野を読み尽くしている人には少し食い足りないところもあるだろう。だが、私はやはりいま読まれるべき一冊に加えたい。
自殺者年間三万人とは、東京マラソンの参加者とほぼ同数。つまり、映像で見ていると圧倒されるほどの数の人間が、死を選んでいく。にもかかわらず、この国はまだ自殺を「個人の資質」として片付けたがる風潮がある。本書のメッセージはその反証なのだ。
まとめにあたる第七章に、著者が不定期に司会を務めるインターネットテレビ番組で、自殺対策支援のためのNPO法人「ライフリンク」の清水康之氏と、社会学者の宮台真司氏との討論が一部再録されている。その中の清水氏の発言が、著者の思いと同じだろう。
<現代の自殺は個人の問題ではなくて、社会の中に三万スポット、そこに嵌ってしまうと自殺に追い込まれる場所があるということなんです。これをなくしていく。あるいは嵌ってしまった人が這い出せる仕組みを作っていくことが、自殺者や遺族だけでなく、スポットの手前にいる、同じ社会で生きている私たちのためにもなると思う。>
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