まず、もったいぶらずに今回のいちばんのオススメを。大人になって、しかも写真について、こんなにしなやかで楽しい教科書に出会えるとは思っていなかった。写真は好きだが自分では撮らない・撮れない(ぼくがそうです)という人も、この本を読んだら近い将来にカメラを買って、撮り始めたくなるかもしれない。
『たのしい写真』は、「講義篇」「ワークショップ篇」「放課後篇」「補習篇」に分けられており、最初の「講義篇」は写真の歴史から始まっていて、“ずいぶんオーソドックスに始まるんだなぁ”と思っていると、これがまったくそういう種類の本ではないことがたちどころに判明する。というのも、ここに提示されている写真の歴史は「私家版 写真の歴史」と題されており、テキストはたった1ページしかないから! しかも、「今日の写真」を考えるうえで重要な点として、「決定的瞬間」「ニューカラー」「ポストモダン」の3つのワードがさっさとピックアップされて、これから本全体がこれら3つの概念をメインストリームとして、そこに様々な支流や湖や、思いがけない水源が見いだされていく構造になっていることがわかるようになっているのである。このはじまりはとても見事で、ズバッ、ズバッ、ズバッと、まずは最初のバッターが三球三振で試合がスタートしたという感じがする。
特に、「決定的瞬間」と「ニューカラー」の相違はまさしく「決定的」で、もちろん、プロのフォトグラファーにとっては(たぶん)常識なのだろうけれど、筆者などはホンマタカシ氏の「私家版的」(?)定義によって、今まで見てきたあの写真集やこの写真集が、「ああ、そういうことか」と、胸にストンと落ちてきた。
ホンマ氏は、よく言われる両者の違いを、[1]使うカメラ(小型と大型)、[2]撮り方(主観的と客観的)、[3]色調(モノクロとカラー)の3点で簡単に対比させたあと、サラッとこう書く。
【でも実は、「決定的瞬間」と「ニューカラー」の最大の違いはシャッタースピードにあると思うのです。】
かの有名なアンリ・カルティエ=ブレッソンに代表される「決定的写真」は小型写真(ライカとか)を使用するので、シャッタースピードは60分の1秒~125分の1秒くらいなのに対し、「ニューカラー」は大型カメラを三脚に据えれば1分でも2分でも好きなだけ長くシャッターを開いていることができる。それこそ「決定的」な「一瞬」を狙うならシャッタースピードはむろん短くなければならないわけだ。
ここまではどんな素人でも「そうだよな」と思うところ。問題は「ニューカラー」(ホンマ氏自身も、大きく括れば「ニューカラー」の流れに位置する人だろう)のほうの解説の冴え、である。「ニューカラー」を一言で説明するのはかなり難しいけれど、それこそ「その一瞬を逃すな!」という「決定的瞬間」の写真に対して、一見、なんの変哲もない、言ってみれば「非決定的な瞬間」をわざわざ捉えたり(ウィリアム・エグルストンのような作家がそう)、あるいは8×10のような大型カメラでじっくり対象を捉えたり(ジョエル・マイロウィッツ)、そういう「アンチ・クライマックス」なカラー写真(モノクロだとシャープすぎるから)の一群だと思っていただければいいだろうか。
【シャッタースピードを遅くした時の最大の利点は、レンズの絞りを小さくできるということです。絞りが小さければ、手前から奥まであらゆるものにピントを合わせられるようになる。つまり、画面の隅々まで等価値に表現することが可能になるのです。(中略)シャッタースピードにおける60分の1秒と1秒の違いは途方もなく大きな違いを生み出します。1回の撮影で物あるいは世界と向き合う時間が60倍も違ってくるのです。ということは当然、写ってくるものも、写す姿勢も決定的に変わってしまうのです】
等価値。これこそ「ニューカラー」のキーワードであり、もしかしたらこの『たのしい写真』という本全体の最重要ワードであるかもしれない。なぜなら写真とは本来楽しいものであり、フォトグラファーやカメラマンと呼ばれる、能力や技術を持った人たちの既得権益を超えて、誰にでも「等価値」のものであると教える「教科書」がこの本だから(ただし、突出した個人の才能というものの存在を、むろんホンマ氏は認めている)。
『たのしい写真』がすばらしいのは、たくさんの学習項目が続きながら、総花的にそれらを並べるのではなく、全体の構成(流れ)にすべてが沿っており、しかもそれが予定調和的に感じられないことである。ホンマ氏自身の経験が十二分に反映されていながら、「写真論」的な「主張」になっていないところもラクに読める重要なポイントだと思う。
そして、1冊の本としてのクオリティの高さ。写真の教科書だから写真が豊富なのは言うまでもなく、また本文組みの美しさは特筆に値する(とても見やすく、読みやすく、落ち着く)。随所に「Book Guide」が付いているのもうれしい。
と、いうわけで『たのしい写真』、ホンマタカシ氏らしく(?)、なんというか、写真家が書いた本に必ずつきまとう(それが魅力でもあるのだが)、その人自身が抱えている世界観の屈託、みたいなものが見事に消化=昇華された、晴れやかな仕事である。文句なしの☆☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |