犬飼六岐はデビュー作から注目していたが、梶よう子の松本清張賞受賞作『一朝の夢』(文藝春秋)は、必ずしも高く評価していなかった。消去法でいけば欠点は目立たないが、逆に傑出したところもない、賞を狙うために書かれた典型的な作品に思えたのだ。そのため受賞二作目もさほど期待はしていなかったが、その思い込みは見事に裏切られた。著者は相馬大作事件という使い古された“革袋”に、現代人も納得できる“新しい酒”を見事に注いでみせた。本書を読んで、梶よう子の評価を改めた。というよりも、最初から著者の力量を見抜けなかった不明を恥じたいほどである。
相馬大作と聞いても、いまやその事跡を思い浮かべられる人は少ないだろう。
一八二〇年、盛岡藩主の南部利敬が三九歳の若さで亡くなり、一四歳の利用が跡を継いだ。その頃、かつては盛岡藩の家臣だった弘前藩がロシアの南下を警戒する北方警備を命じられたこともあって発言権を拡大、活発な政治工作もあって従四位下に任じられる。ところが利用は幼少を理由に官位が与えられず、主筋が家臣の風下に立つことになった。盛岡藩士の相馬大作(本名は下斗米秀之進)は、主君の恥辱を晴らすため、江戸からの帰路についた弘前藩主を暗殺しようとするが失敗、幕府に捕らえられ処刑されている。この事件は、忠臣蔵の再現として江戸庶民が熱狂したのに加え、幕末の尊王思想の理論的な指導者・藤田東湖や吉田松陰が絶賛したこともあって有名となり、講談や時代小説、時代劇の定番となっていく。『みちのく忠臣蔵』というタイトルも著者の創作ではなく、相馬大作事件の別名として広く流布したものである。
本書が秀逸なのは、大作を主人公にするのではなく、旗本の嫡男ながら無役のため武家のトラブルを解決して小遣い稼ぎをしている神木光一郎の視点から事件をとらえたことである。それだけに、主君に受けた恩に報いるためなら命を投げ出すことも厭わない大作と、忠義を貫く大作を時代遅れと断じ、大作の命を救おうとする光一郎の生き様が鮮やかに対比されていく。
現代人の感覚からすれば、“義”や“恩”を重んじる大作よりも、現実社会での成功や安寧を求める光一郎の方が利にかなっていると思えるだろう。だが本書は、光一郎が大作の影響を受けて成長する物語を作ることで、大作の選択に新たな光を当てようとしているのだ。
バブル崩壊後の日本は、アメリカ型の市場原理主義を受け入れることで不況を乗り切ろうとした。その結果、金を稼ぐことが最重要課題とされ、法律に触れなければ倫理に反しても構わないという経営者や、産地や賞味期限を偽装してまで利益を挙げようとした経営者を生み出した。金で官位を買った弘前藩主を許せず、自身の人生哲学を賭けて戦おうとした大作は、単に主君の仇討ちを目指したのではなく、“正義”という普遍的な価値観に殉じようとした男とされている。都会的で洗練された光一郎が、知らず知らずのうちに大作の泥臭い“信義”を認めるようになるのは、現代社会を覆う拝金主義に、一人一人がどのように向き合うか問い掛けているように思えるのだ。
読むだけで作品のメッセージが受け取れる分かりやすさを避け、読者に考えてもらうように仕向けた“大人の対応”も見事で、十分の☆☆☆。
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