最後は翻訳ミステリーである。これがデビュー作となるジョシュ・バゼルの『死神を葬れ』だ。主人公ピーター・ブラウンは〈マンハッタン・カトリック〉病院に勤務する研修医だ。ある冬の朝、彼は出勤途中の路上で強盗に襲われる。背後から呼び止めてポケットを探ろうとする強盗に対し、ブラウンはある行動に出るのだが……。
申し訳ないことに、紹介できるあらすじはここまで。ここまでって、二ページまでしか紹介していないのだが、後は一切の予備知識を仕入れずに読んだほうが、この小説は絶対におもしろいはずだからである。ただ、それでは書評の意味をなさないので、未読の方の興を削がない程度に内容を紹介しておこう。箇条書きで失礼します。
その一。本篇は、ピーター・ブラウンの長い長い一日を描いたもので、研修医の多忙極まりない生活が実感のこもった筆致で綴られている。それもそのはず。作者のジョシュ・バゼルはブラウン大学創作科を卒業後、コロンビア大学医学部を出て現在はカリフォルニア大学で自身研修医としても勤務しているという変り種のプロフィールの持ち主なのだ。医者兼作家というと、日本の海堂尊などを思い出しますね。医療の現場に対する当事者ならではの視点が魅力的で、信じられないような現実が描かれている。ところどころで挿入されている脚注にも笑わせられるのだ。「例:病院にあるボトル入りの水には、たいがいブドウ糖が五パーセント入っている。“ただの水1リットル:35ドル”という一行が請求書に載るのを防ぐためだ」なるほどね。
その二。〈マンハッタン・カトリック〉病院での一日と並行して、ブラウンの過去が語られていく。このパートは、一転してとことんドライである。ブラウンがアウシュヴィッツ捕虜収容所を訪れる場面など、人生の残酷な側面に思いを馳せるくだりもある。人体は損なわれやすく、命ははかないものであるということが、ここを読めばよく判るはずだ。
その三。一つとして無駄なエピソードがなく、特に印象的な場面ではデフォルメの効いた描写が心がけられている。ギャグの側に触れた例としては、執刀医としてブラウンと出会う、ドクター・フレンドリーを上げておきたい。なんと胡散臭い名前! 全身に製薬会社の広告ワッペンをぺたぺた貼った白衣を着ている(当然股間にはED治療薬のワッペン)という外見からして信用ならないのだが、彼の手術に臨む姿勢がまたひどいものなのだ。手術の場面はストーリーの転換点となる重要な箇所であり、そこにこういう爆笑キャラクターを配するセンスが素晴らしい。ギャグではなくグロの側に振れた場面もあるのだけど、どこがどう突出しているのかは伏せておきましょう。結末まで読み進めるうち、最低三回は「ひぃーっ!」と叫びたくなるはずである。医者だけに人体破壊はお手の物、とだけ書いておく。
でもって、こんなにキワモノっぽい雰囲気なのに、不思議と読後感がいいのである。場面によっては感動的ですらある。人が人を愛することについて、不覚にも考えさせられたりしましたよ。口惜しいけど、ちょっとしみじみとさせられる小説でもある。
こんな感じ。不親切な書きようで申し訳ないが、上記の紹介に「おお」と思った人は絶対に読むべきだ。本年度のランキング入りは確実。大傑作だ。当然☆☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |