まず最初に、杉江松恋氏が賞賛された『さらば雑司ヶ谷』を、私からも簡単にご紹介。粗筋その他の情報はそっちを見てください。
樋口毅宏の『さらば雑司ヶ谷』は、暴力とセックスと闇社会が、なぜか雑司ヶ谷でチープに炸裂する物語。地方在住者は雑司ヶ谷と言われても位置関係がピンと来ないかも知れないが、この地は池袋のすぐ南東にある。鬼子母神堂や著名人の墓が多い雑司ヶ谷霊園などもあるが、基本的には閑静な住宅街である。今をときめく人気作家・石田衣良の代表作で有名な池袋ウェストゲートパークは、その名の通り池袋の西側にあり、雑司ヶ谷からは、10分程度歩くだけで行き来できる。池袋といえば東京を代表する繁華街の一つであるわけで、そこにほとんど隣接して、こういう住みやすそうな宅地が広がっている辺りに、地方出身者の私などは東京の面白さを感じてしまう。
……などと書いていると、「じゃあ『さらば雑司ヶ谷』は東京在住者しか楽しめないローカルな小説なのか」と疑われそうだが、そんなことはない。読者が押さえておくべきは、雑司ヶ谷が実際には閑静な住宅街であることと、大規模な繁華街――華やかだが、欲望と罪業が渦巻く場所――に近いという2点だけで良い。
作品の内容は杉江松恋氏が適切にレビューしておられるので、私からは次のように付け加えておく。
作品内の雑司ヶ谷には、日本の国政にすら影響力を及ぼす新興宗教の指導者が2名も住んでおり、おまけにその一人(主人公の祖母、通称「ババア」)は雑司ヶ谷の支配者として振舞っている。むろん実際には、そんな奴はない。そして大規模銃撃戦を含む騒動の大半が、専ら雑司ヶ谷の中でおこなわれるのである。
彼らに対して「隣のブロック(=池袋)でやれ」と突っ込みたくなるのは私だけではないはずだ。近場にもっと相応しい場所があるのに、わざわざ住宅街で何でもかんでもやる必要はなかろう。でもそこに荒唐無稽な可笑しみがある。作品が真に必要としたのは、雑司ヶ谷そのものではなく、この場所が持つ「大繁華街がすぐ近くにある住宅街」という属性に過ぎない。むしろ重視すべきは、本書の雑司ヶ谷に架空の要素が極めて多いことなのである。確かに知っていれば具体的な風景が目に浮かぶシーンは多いが、単にそれだけ。東京在住であろうとなかろうと、読書の本質的な部分に影響はないと断言しておきたい。
雑司ヶ谷に無茶な設定を付与する以外にも、作者は、虚実ない交ぜな「ネタ」を様々に盛り込んでいる。たとえば、いきなり芸能ネタや邦画ネタを挟んで妙な喩えをしたり、杉江松恋氏も触れたような無茶苦茶なセックス・シーンをぶち込んだりである。ここら辺は普通に笑えます。
しかしふと深刻なものが影を差すことも多いのだ。主人公たちの胸に去来する、虚しさ、哀しさ、何とも言い難い不満足感と、それと表裏一体である暴虐性は、作品のあからさまな荒唐無稽っぷりにもかかわらず、とても強く読者の胸に訴えかけてくる。「ネタ」の数々に何も考えずゲラゲラ笑っていると、ふと深淵を覗き込まされて訪れて、ぞっとする……そんな瞬間が本書では頻出する。
ネタはネタとして楽しんで良い。しかし人間は、同時並行で、普遍的な何かを感じ取ることもできるはずだ。逆も真なりで、普遍性を求めるあまり、ネタの部分に目くじらを立てるばかりでは人生つまらないとも思うのだ。『さらば雑司ヶ谷』を十分味わうためには、真面目な読みと、お気楽な読みがどちらも要求される。それだけで本書には価値があるし、筆に勢いがあってストーリーにのめり込めるのも素晴らしい。評価は☆☆☆☆。
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