昭和23年6月19日、玉川上水に投身した太宰治と山崎富栄の遺体が、投身現場から約千メートル下流で発見された。太宰が情死したことは知っていても、太宰と一緒に入水した山崎富栄という女性についてきちんと答えられる人はかなりの文学史通に違いない。
富栄は、「お茶の水美容洋裁学校」という日本最初の美容学校創立者の令嬢であり、女学校出で教養深く、英語も堪能。義姉と共同で銀座に「オリンピア美容室」を開いていたこともある(のちに戦火で消失)。後年、映画の撮影所にも出入りし、いまでいうヘアメイクの仕事もしていた歴とした職業婦人である。しかも一介の美容師ではなく、日本髪、洋髪のみならず、華族の十二単の着付けやおすべらかし(宮中の女性の下げ髪)のお支度もできる、屈指の技術者だったらしい。
世が世なら、憧れのワーキング女性としてメディアに登場していたかもしれないセレブ令嬢と、妻子ある10歳も年上の流行作家の心中事件。ふつうなら、いい年をした男の側が責められそうなものなのに、なぜか富栄の肖像だけがねじ曲げられていった。現代では富栄を水商売の女性だったと誤解している人も多いという。実は著者もそのひとり。富栄の本当のキャリアを知ったのは、とある偶然からだったと書いている。
誤解されているのは富栄の職業だけではない。太宰の死にしても、いまだ富栄が、太宰を絞殺や毒殺して無理心中したという思い込みは根強い。ふたりの愛の行方と死の真相が、どうやってスキャンダラスに歪められ、名誉回復することなく今日に至ったか。著者は、これまでほとんど知られていなかった、もしくは多分に誤解されてきた、富栄の女性像や生い立ち、事件の背景にあったもの、戦争のもたらしたものなど、太宰の死をめぐって覆い隠された真実にスポットを当てた。
本書を鑑みるに、富栄は、『斜陽』『人間失格』『桜桃』といった太宰の晩年の傑作誕生に献身した女性として、もっと認知されてしかるべきだ。作家仲間や編集者とのつきあい、原稿の下書きや仕事の手紙の整理、身の回りの世話、生活や接待のための金銭面まで、一切合切をサポートしていたのは、太宰からもらう決まった生活費で3人の子どもを育てていた妻、美和子ではなく、太宰との子を1人もうけたもうひとりの愛人、太田静子でもなく、他ならぬ富栄なのだから。
脆く、小心で、死に魅入られた天才作家を支えた、知的でひたむきな女性。最後には、いよいよ死が近づいてくる太宰に寄り添い、彼を愛した矜持として心中することを選んだ幸福な女性。こんな富栄のイメージはこれまで見たことがない。
しかしながら、著者の筆は、富栄を純愛にすべてを捧げた女として讃美するだけでは終わっていない。むしろ、富栄のしゃにむな恋慕や哀しいほどの無垢に、冷静な目を向けてもいる。その自制的な距離感が、本書の公平性を支えているのは間違いない。
ストーリーの軸は、新たな富栄像の発掘にあるが、他のさまざまな考察も奥深い。たとえば、父・晴弘が娘へ注いだ汲めども尽きぬ愛情は、そのまま娘へ引き継がれたようにも思う。無私の愛を受けた娘は、無私の愛を注ぐ女に育った。
富栄が戦争未亡人として味わった喪失感も細やかに描かれており、それは何もかもを押し流し、人々の人生をたやすく翻弄する戦争の無意味さを訴えかけてもいる。
また、本書は、事件当時の新聞は、遺書もあり、覚悟の上での心中だったことをきちんと伝えているのに、なぜそれが曲解されて後世に伝わっていったのかという最大のミステリーにも、きちんと答えている。
個人的には、デカダンな太宰の、意外なほど生真面目な一面が描き出されていて、しばしばはっとさせられた。退廃的な生き方や戯作的な作風に引っ張られ、ちゃらちゃらしたイメージが強い太宰だが、戦後の民主主義への居直りとも言える極端な転換への反発こそ、知識人として筋が通っているし、遺作となった新聞小説『グッド・バイ』の校正まで済まして死ぬ律儀さにも頭が下がる。太宰という男はこれほどまでに本気で小説と格闘していたのだと、“作家・太宰治”のイメージアップにもなったのではないか。
評伝小説はともすれば「○○年には何が起き、△△年にはこうなって……」と、年表的な読み物になってしまうが、本書は、関係者の肉声を含む緻密な取材と、作家の豊かな想像力によって、いきいきと血の通った物語になっている。
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