今回はもう一冊の佐々木作品を推したい。受賞後第一作となる『北帰行』である。『廃墟を乞う』をおもしろく感じたけど、でもちょっと地味だったな、と思った方には、ぜひとも本書を読んでもらいたい。ロマン・ノワールの書き手としての持ち味が、存分に発揮された傑作だ。佐々木譲はね、こういう作家でもあるんですよ。
物語の筋立ては単純である。はじまりは、東京の片隅で、ロシア人の娼婦が殺されたことである。彼女を弄んでいたヤクザの西股が、はずみで殺してしまったのだ。この一件を闇に葬ろうとして、西股は画策する。
後日、ロシア語圏専門の旅行代理店を営む関口卓也は、タチアナ・クリヤカワのアテンドを引き受ける。モデル顔負けの美貌であるターニャは、時と場合によってころころと印象が変わる、不思議な女性だった。東京・外苑東通りの某所へとやってきたターニャは、関口を外に残し、とあるビルの中へ乗りこんでいく。やがて、待機中の関口の耳に、ただならぬ破壊音が響いた。タチアナが、ビル内の事務所にいた西股を撃ったのだ。彼女こそが、娼婦殺しのおとしまえをつけるためにロシアン・マフィアから派遣されてきた殺し屋であり、死んだユリヤの実姉であった。手傷を負ったタチアナは関口を銃で威嚇して車を運転させ、その場から逃げ去った——。
ロシアからやってきた女殺し屋! 映画「ニキータ」を思わせるヒロイン像が本書の第一の魅力である。北海道に住む家族を人質にとられ、関口は彼女の逃走を助ける羽目になる。女一人に幹部を殺されるという失態を演じたヤクザたちが、関口たちを追ってくる。その逃走劇が迫力満点の筆致で描かれるのだ。果たして逃げ切れるのか。焦点を一つに絞った単純明快な話運びで、スリルは否が応にも高まる。
物語のもう一つの関心は、関口とタチアナの関係がどう変化するのかという点にある。不承不承逃走劇の片棒を担がされた男と、妹のためにすべてを捨て復讐鬼となった女。立場の違いすぎる二人の間にあるものは、冷え冷えとした感情だけだ。それがどう変わっていくのか。すべてのロード・ノヴェルと同様、この小説も旅の過程を通じて人の心がうつろっていくさまを描く。図らずも運命を共にすることになった二人の心境が、べたべたとした言葉ではなく、さりげない素振りや行動によって表現されるのである。非情な犯罪小説ではあるが、大人のロマンス小説として読むこともできる。不可避の結末に向けて全速力で飛びこんでいく、爽快感満点の娯楽作品だ。警察小説の書き手という側面でしか作者を知らない人は、ぜひ本書にも挑戦してみていただきたい。ロマンの翼をはばたかせることにより、穏やかな日常の表面に荒波を立たせようとする作家なのですよ、佐々木譲は! ざわざわとした気持ちになりたい人は必読だ。☆☆☆☆☆
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