トム・ジョーンズという作家を知ったのは、村上春樹が翻訳・編集した『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』という本によってです。これは、レイモンド・カーヴァーの親しい友人だった作家、リチャード・フォードによる追悼エッセイや、ティム・オブライエンのヴェトナム再訪記など、どちらかといえばエッセイを主体(短編小説もあります)としたアメリカ現代文学のバラエティブックといった趣の本で、村上春樹のアメリカ同時代文学に注ぐ眼差しが奈辺にあるかを示すとともに、ほとんどの日本の読者にとっては未知の2人の作家のエッセイが読めるという点でも、実に興味深い内容でした。
で、その2人の未知の作家というのがデニス・ジョンソンとトム・ジョーンズです。デニス・ジョンソンは、同じく村上春樹が「誕生日」をモチーフに翻訳・編集した『バースデイ・ストーリーズ』の中に「ダンダン」という短編が収録され(誕生日に友人を撃ち殺してしまう男の話)、またこの「ダンダン」を含む11の短編を集めた短編集『ジーザス・サン』が、白水社の新しい世界文学シリーズ「エクス・リブリス」の記念すべき第1回配本として、今年の3月に刊行されています。
筆者が、もう1人の未知なる作家、トム・ジョーンズのことが気になっていたのは、『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』の中で村上春樹が、やや異例とも思える熱っぽさでトム・ジョーンズについて書いているのを読んだからです。いま本が手許になく、曖昧な記憶で申し訳ないのですが、たしか雑誌「ニューヨーカー」のパーティかなんかで、そこに出席した村上春樹が、他の作家とまったく毛色が違っていて、しかし自分が最も親しみを憶える相貌と空気を持った作家として、トム・ジョーンズを素描していたはずです。都会的で知的な風貌(実際はむろん、そんなにステレオタイプじゃないと思いますが)の作家が多く集まる中で、その武骨で野生的な姿が深く印象に残ったのでしょう。
調べてみると、1996年に新潮社から短編集『拳闘士の休息』が出ています。しかし、残念ながらわりとすぐに絶版になってしまったようで、13年経って忽然と河出文庫で復刊され(河出文庫は海外文学の復刊を1つのラインナップにしていますね)、ようやくその小説が読めるようになったというわけです。
【ただそれまでは、ほんのちょっと痛めつけてやろう、ぐらいのつもりだったが、そのときの俺には明らかに殺意があった。俺は経験を積んだボクサーだったから、こめかみが急所だということをよく知っていた。人間の頭の骨は硬くて丈夫だが、付け根の部分だけはやわにできている。ぐしゃっという嫌な音がして、ヘイ・ベイビィは道沿いに生えた草むらの中に倒れた。】
全部で10の短編が収録された本書の冒頭、表題作からの引用です。『拳闘士の休息』においては、登場する人物の多くが、徹底的に体を痛めつけられます。むろん、それに伴って精神(というより、「神経」と言ったほうがいいでしょうか)もズタズタになっていく。体と神経、それらを総合して仮に「身体」と呼んでおくとすれば、『拳闘士の休息』では、あたかも徹底的に痛めつけられ、ボロボロになる「身体」と引き換えに言葉が次々に発生し、意識や生命が消滅寸前のところで最も文章が輝くという、地獄の反比例状態が、全編を通してほぼ常態と化しています。
「私は生きたい!」という、あまりにストレートなタイトルを持つ一篇は、がんに冒された初老の女性の、ジェットコースターのような闘病の日々が描かれます。たった35ページ足らずの短編ながら、読み始めてすぐに逃げ出したくなるような小説です。しかし、読者はここから放出される言葉の奔流から自力で脱出することは甚だ困難で、つまりは最後までじっと付き合って読むしかない。そう、あの決定的な動詞、読み進めながら途中で、“ああ、最後はやっぱり、ああして終わるのだろうな”と誰もが思わずにはいない、その決定的な一語を視認するまで、ジェットコースターは止まらないわけです。
戦地で、病院で、深海で、『拳闘士の休息』の「身体」たちは、ギリギリの苦痛と束の間の快楽のあいだを往復し、その間、読者はまったく休ませてもらえません。もちろん、物理的には辛くなったら本を投げ出してしまえばよいわけですけれども、それでも途中まで「読んでしまった」事実と、感応してしまった自分の「身体」はもはやごまかしがきかず、こうなったら覚悟を決めて読み進めるしかない、という感じ。
実際、読者にも痛みと苦しみが伝染するいっぽうで、おそらく2種類の快楽も用意されていて、一つは、徹底的にトム・ジョーンズのテキストの中に深く下降していって、読むのがやめられない・止まらない文体にまで練り上げた、翻訳者の岸本佐知子さんの日本語がもたらすもの。そしてもう一つは、間断ない苦痛のふとした切れ目、もしくはその果てに見える、まるで浄福そのものの青空のような、向こう側にあるエクスタシーの気配です。