『週刊文春』に、「原色美女図鑑」というグラビアがある。ふつうは注目の女優やアイドルなど芸能人女性をフィーチャーしているページだ。しかし、今年一月の第138回芥川賞発表直後の号で登場したのは、川上未映子さん。歴史の長い雑誌だが、このページにミニスカートで登場した“作家”なんてほかにいるんだろうかと驚かされた。
個性派揃いの作家の中でも出色のキャラ立ちっぷり。自身のブログでも、言葉のエッジの効き方はハンパじゃない。個人的には、山田詠美さん以来の、肝っ玉文学姐さんの位置づけである。
そんな川上さんの最新刊『乳と卵』は、饒舌な文体と生きることの泣き笑いがバランスよく書けていて、川上さんの世界に触れるには、ある意味、最適の一冊かもしれない。
東京・三ノ輪に暮らす夏子のもとに、大阪から姉の巻子、姪の緑子が上京してくる。〈あたし豊胸手術を受けたいねんけども〉という巻子の本意を、夏子も緑子も汲み取れぬまま、三人で過ごすことになった夏の三日間が描かれる。
小学六年生の緑子は巻子の娘だが、半年ほど前から巻子と口を利かなくなっている。もっとも、しゃべらないのは夏子に対しても同様で、何か言いたいことがあるときは小さなノートを使って筆談をする。その一方で、緑子は、大きなノートに初潮を迎えることの不安や大人の女の体に変化していくことの憂鬱、さらには母親への愛憎入り交じる複雑な心情を素直に書き綴っている。
巻子は巻子で、上京する一ヶ月も前から電話で豊胸手術についての知識や胸を大きくするのだという決意を蕩々と語るありさまで、その勢いは上京しても止まらない。夏子はそれに相づちを打ちながら、夏子なりに胸や体のことを考える。だが、聞けば聞くほど、巻子がなぜ胸を大きくしたいのかわからず、胸が大きくなったら何が変わるというのだと詰め寄ったりもする。
もうすぐ四十になる巻子、三十代の夏子、思春期の入り口に立つ緑子。彼女たちは三者三様に、持って生まれた女性の体というもの不自由さ、刻々と変化していく肉体のどうにもしようのなさを切々と訴えてくる。
乳と卵、すなわちおっぱいと卵子について、これほどしつこく考え続けた小説はおそらく本邦初だろう。男性読者にとっては「女性はこんなことを考えているのか」と目を丸くしそうだが、女性読者にとっては(特に乳首の描写のあたり)想像のつくことで、苦笑いせざるを得ないという感じ。
東京に来て二日目、巻子は、「友人に会って、そのままクリニックでカウンセリングを受けてくる」と出て行ったものの、帰ると言った時間に帰ってこない。戻ってきたときにはべろべろに酔っていて、元夫に会いに行ってきたことをほのめかす。そんな巻子に向かって緑子はついに、感情を爆発させるのだ。
緑子は〈お母さんは、ほんまのことゆうてよ〉と泣きながら、次々に自分の頭で卵を割っていく。卵まみれの緑子に、巻子は同じく自分も頭で卵を割って卵まみれになりながら、〈絶対にものごとには、ほんまのことがあるのやって、みんなそう思うでしょ、でも緑子な、ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで〉となだめる。
小説に出てくる親子ゲンカは数々あるが、これはかなり心が揺さぶられる名シーンだ。
しかも、この卵闘の後に待っているのは、巻子と緑子、そして夏子はそれぞれの思いを胸に納め、それぞれの家に帰って行くというエンディング。温かな余韻が、多くの共感を集めるに違いない。
本書に収録されているもう一編は、芥川賞受賞第一作となる「あなたたちの恋愛は瀕死」。
知らない男と出会っていい感じで性交してみることを夢想し、毎週のように新宿を徘徊する女。あるとき、ティッシュ配りをしている男性と出会い、思いも寄らない顛末へとつながる。デパートで、街中で、本屋で、蕩々と語られる女の思弁は、まさに川上未映子ワールド。
川上さんのぶっとびの言語感覚に笑うもよし、驚くもよし。とにかく読んでみてほしい新人の登場だ。
川上未映子作品については書評を多数収めていますので、ぜひお楽しみください。
『ヘヴン』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む
『わたくし率 イン 歯ー、または世界』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む
『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む