「処女作には、その作家のすべてがある」と言われる。その説に与しない人もいるだろうが、処女短編集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』には、確かにその後の川上未映子的世界の萌芽が息づいているように見える。
表題作は、語り手の女性が街中や室内で、〈女子の先端〉のことや〈わたしの真ん中〉のことについて思索をめぐらす話。ストーリーらしいストーリーはなく、小説というより現代詩のよう。
とはいえ、大阪弁のグルーヴたっぷり、同語反復や畳句法が連続する踊るような文体は、少しも浮ついてはいない。むしろ言葉はしっかりと考え抜かれ、自我や女性のからだや母性など、彼女が連綿と書き続けているテーマが立ち上ってくる。
単行本の刊行順で言えば、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社)のほうが早いのだが、実質的な商業誌デビューは、2005年11月号の『ユリイカ』「特集・文化系女子カタログ」に掲載された、「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」だ。本書は、それを含む短編集である。
収録された7編は、すべて女性の語り。「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」(どーゆうタイトル!!)の女性は銭湯で考察し、「象の目を焼いても焼いても」の女性は図書館で呻吟する。「ちょっきん、なー」は、『乳と卵』に通じるテーマを内包した一作。教室で、女の子や手が、髪や卵(子)について話すという奇っ怪な話である。
未映子名義で歌詞を書き、小説家でなく詩人として出発した人らしく、何と言っても、言葉に向き合う感性が魅力。
そういえば川上さんは、芥川賞受賞の言葉でこんなことを述べている。
〈子どものころ、青いという字をじっと見て、ちっとも青くないことに驚いた。(略)言葉とそれが指し示すものとのあいだに横たわる断絶のようなものが、とてもいらいらするし、大変だし。それでもやっぱり何もかもがもうそれだけでいいと思ってしまえるくらいにそれは時に鮮やかに発光するのだから、言葉というものはたまらない。〉
これこそが、彼女が書こうとしている世界であり、それが端的に表れているのがこの作品集ではないかと思った。
どうしてもストーリーがないと読みにくいという人は、「告白室の保存」から読み始めるのがおすすめ。一組のカップルの女が語り手となり、自分とつき合うに至るまでの男の女性遍歴にモノ申すという話なのだが、男女のいわば痴話ゲンカのような性愛論が形而上と形而下を行ったり来たりで展開する。
ひと筋縄ではいかない小説を書くゆえに、熱狂的なファンを生む一方、わかりにくい、読みにくいと敬遠されてもいる川上さん。だが、おそらく彼女は、「わかってもらう」ことなど求めていない。
本書を読む限り、言葉とがっちり四つに組んだ自分の小説を読んで、何かコツンと手応えを感じてくれればそれでいいと、作家としてはむしろ本当にささやかな望みを胸に、真摯に表現し続けているように思うのだ。
川上未映子作品については書評を多数収めていますので、ぜひお楽しみください。
『ヘヴン』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む
『わたくし率 イン 歯ー、または世界』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む
『乳と卵』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む