対照的に、著者バルガス=リョサは、20世紀を生きてきました。かれがいかにフローベルを賞賛しようとも、かれの20世紀育ちの自意識は「フローベルのように」書くことを許しません。20世紀、それはヨーロッパにはじめて亀裂が入った第1次世界大戦から始まり、湾岸戦争で終った世紀。20世紀、それはソヴィエト連邦の誕生から始まり、失意のなかでの瓦解に終った世紀。
そう考えたとき、この小説『楽園への道』は、19世紀の物語を、いかにも20世紀的な手法で描きあげたものであることがわかります。しかし、もしももう少し著者自身に踏み込んでみると、また別の解釈もまた生まれてきます。それは・・・。
著者バルガス=リョサの母国ペルーにとって20世紀は、前世紀にスペインから独立したものの、チリとの戦争があり、アメリカやイギリスからの獰猛な経済支配を受け、内政においては軍事政権、暗殺、クーデターが相次ぎ、まったく不安定きわまりない百年でした。バルガス=リョサは、作家として名声を築き上げた後、1990年代、50代で政治に参加、政治への夢は断ちがたく、大統領選に参戦したものの、フジモリと争って敗れました。
バルガス=リョサは大統領選に敗れた後、失意とともに祖国のペルーを捨て、文学活動に専念、ヨーロッパに活動の拠点を移しました。なんとなれば、こんな可能性に気がつかないでしょうか? あるいはバルガス=リョサは、フローラ・トリスタンに自分自身の政治的敗北を重ね合わせているのではないかしら? そう、その後バルガス=リョサを破ったフジモリが、独裁的な政治へ突き進んでいったことを知るわたしたちであれば、なおさらそんな想像をしてしまいます。しかし、あるいはそんな贅言はつつしまなければならないかもしれません。なぜなら、著者の「ほんとうの」動機など、誰ひとり、わかるはずもありませんから。
わたしたちはこの小説を読み、フローラ・トリスタンとポール・ゴーギャン、ともにペルーの血を引くふたりの主人公が、時代と格闘し、人生を生き抜ける日々をともにします。あなたはきっと畏怖の念を抱くでしょう、かれらの人生は多くの悲惨に彩られながら、それであってなお、かれらが夢見たヴィジョンが明るく楽天的なことに。そしてその明るさと楽天性は、読者を勇気づけずにはいられません。この小説を読むと、あなたもきっと、自分にとっての楽園をおもい描かずにはいられないでしょう。たとえ楽園というものが、つねに現実に裏切られ、裏切られたとき、失意のなかでいっそう輝くヴィジョンであったとしても。
「楽園はどこですか?」
「楽園は次の角です。」
この小説のタイトルは、そんなペルーの子供たちの遊び歌にちなんだものだとか。
■マリオ・バルガス=リョサ(Jorge Mario Pedro Vargas Llosa 1936年~)
おもな小説に
『都会と犬ども』(原著1963年 新潮社刊)
『緑の家』(原著1968年 新潮社刊)
『パンタレオン大尉と女たち』(原著1978年 新潮社刊)
『フリアとシナリオライター』(原著1982年 国書刊行会刊)
『密林の語り部』(原著1989年 新潮社刊)
『世界終末戦争』(原著1984年 新潮社刊)
『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』(原著1987年 現代企画室刊)
『楽園への道』(原著2003年 河出書房新社刊)
最新作は、"The Bad Girl"(原著2007年、なお"The Bad Girl"は英訳タイトル。)
文学論として
『若い小説家に宛てた手紙』(原著1997年 新潮社刊)がある。