まだある。温室効果ガスというけれど、もともと地球はこの温室効果ガスがなければ表面温度はマイナス18℃になるといわれていたはずで、現在の平均15℃に保たれていることを考えれば、33℃温度を高くしてくれていることはありがたいことなのではなかろうか。
あるいは、CO2、二酸化炭素は気体では炭酸ガス、凍らせた固体ではドライアイス、水によく溶けてその水溶液はソーダ水になる。ぼくなんかほとんど毎日、ハイボールを飲んでいるけど、飲み過ぎの二日酔い以外、身体に何の不調もきたしていない。むろん、空気中3%から5%含有した場合、頭痛や吐き気やめまいを覚え、7%を超えると意識を失う。だから、練炭や車の排気ガスで自殺することも出来る。けれど、現在大気中には0.037%ほどの濃度で含まれている程度だ。徐々に増えているから安心はできないけれど、そう大騒ぎするほどのことなのだろうか。などなど……。
といった幼稚な疑問にはメディアは何も答えてくれない。科学に弱く、数学に弱く、まったく文系の人間であるぼくにしても、今の地球温暖化論争は、妙だなあ、と思わざるを得ない。誰かきちんとした答えを教えてもらえないだろうか。
新聞もテレビもひたすら、温暖化危機をあおるばかりだ。古館一郎のヒステリカルな論調も、TBSの「筑紫哲也NEWS23」のキャンペーンも毎日新聞の特集記事も、そのほかの大新聞たちのもっともらしい解説も困ったものだが、もっと問題なのは何でもかんでもを「地球温暖化」のせいにすることだ。雨が多いのも、風が強いのも、花粉が多いのも、例年に比べて妙に寒い冬なのも、すべて「ああ地球温暖化だからね」と片付けてしまう。そういう思考停止状態に人びとを陥れようとする地球温暖化論者の弁に違和感を覚えたら、この本を読むといい。
ここにあるのはいわば知的覚醒である。いかにぼくらが、あらゆることに対して漠然と見過ごしてきたかを思い知らされる。この地球温暖化のことでも、それは科学の姿を借りたドグマ、あるいは環境の名を借りた国同士のエゴ、または経済戦略、環境を守ることは科学の問題ではなく、人間性の問題だというすり替えの論理、そして恐怖をあおることによって金儲けしようとする人たちの存在――何しろ危機に関しての研究には助成金が出るのだから――といったことに気づかないできた。
確かに、この何年か温度は上昇している。だがそれは地球温暖化ではなく、コンクリート敷きの町や車の排気、エンジンやクーラーの放熱、そして高層ビル群による輻射熱と風の通り道の閉鎖などを原因とする気温上昇、それに天候不順はCO2などの温室効果ガスの排出といった人為的な理由ではなく、何よりも太陽黒点のせいではないのか、というようなことを思いをめぐらす人に、この本は目を覚まさせてくれる。同じように、「地球温暖化は本当か?」(矢沢潔著/技術評論社)や「環境問題はなぜウソがまかり通るのか1・2」(武田邦彦著/洋泉社)なども推薦だ。
思考停止としか言いようのない地球温暖化防止ムードが政府の提唱によって行われていることを考えると、ぼくらは行政やマスメディアによって思考を停止させられようとしているのではないかと思えてしまうのだ。
これだけは言える。もし、地球温暖化によって地球が滅亡するとしても、ぼくは精神論によって環境問題を考えるのではなく、正しく科学的に理解して死にたいだけなのである。