この小説は高校の現代国語の教科書にも取り上げられたことがあるらしいので、授業で教わった方もいるかもしれない。青年ティムの戦争への恐れが、エルロイ老人の眼差しによっていっそう深く胸に染みてくる、そんな作品である。
「ゴースト・ソルジャーズ」は、その年の優秀短編に与えられるO・ヘンリー賞を受けている。
「私」は背後から銃撃され、尻に傷を負う。銃創の手当をした新米衛生兵ジョーゲンソンがびびってへまをしたおかげで、「私」の傷は壊疽を起こしかけ、病院送りとなる。そのことに腹を立てた「私」はジョーゲンソンが守衛に立った夜、彼をちょっと脅かしてやろうと企む。その計画はまんまとうまく運ぶのだが…。
お話的には黒いユーモアに縁取られた不思議な友情譚。しかも、O・ヘンリー賞を受けるだけあって、結構も見事に整った短編小説。ドタバタの活劇風の味わいもなかなかいい。
「ソン・チャボンの恋人」も短編小説として良くできている。
恋人に会うために、女子学生メアリ・アンが輸送機に忍び込み、ベトナム戦線の前線、ソン・チャボンへとやって来る。はじめは恋人の毛布に一緒にくるまって眠っていた彼女は、次第に一晩二晩と帰ってこなくなり、やがてついに戻ってこなくなる。次に兵士たちの前に現れたときには、彼女はグリーンベレーの一員としていつものキュロットスカートとピンクのセーターに身を包み、行軍していたのだった…。
いくら混沌とした戦場にあっても、このお話は奇想天外に過ぎる。だからといって、リアリティがないかといえば、そうではなく息苦しいほどのリアリティさえある。戦場あるいは戦闘の持つ、密教の秘儀にも似たトランス感に呑み込まれた女子学生の姿が妖しくも痛々しく伝わってくる。
紹介したい短編はほかにもあるが、あとは読んでいただくしかない。この短編集は1999年、ピューリッツァー賞、全米批評家協会賞の最終選考に残っている。権威などどうでもいいが、多くの人がこの作品集に何かを感じ、ほかの小説では得られないある手触りを感じ取ったことだけは確かなことだろう。
ティム・オブライエンは、この小説の題材になった事柄を、実際にあったことではない、と正直に告白している。ベトナム戦争にそのような事実はなかった。だが、真実はこの小説のように起きたのだ、と。
その真実はベトナム戦争でなくても、描くことは可能だったろう。なぜならその基底には巨大なシステムに呑み込まれ、潰されてゆく個の姿を描きたいというティム・オブライエンの強い思いは一貫して変わらないからだ。にもかかわらずなぜベトナム戦争を描くかといえば、それは彼の体験した戦争であり、もっとも想像力を刺激する題材だからだ。だが、これほどまでにベトナムを書き得た作家がほかにいただろうか?
新聞からもTVニュースからもこぼれ落ちてしまう兵士たちの「内的ドラマ」をかけがえのないかたちで描いた不世出の傑作短編集である。