さて、イワンが入院している精神病院には、ひとりの茫然自失状態の作家がいた。かれはみずから巨匠と名乗るが、実は、イエスをゴルゴダの丘へ送ったポンティウス・ピラトゥスを主人公にした小説を書いたことで、文壇を葬られてしまい、やる気を失い、失意とともに原稿を燃やしてしまい、あげくの果てに精神病院で憂鬱な日々を送っているのだった。そして不遇をかこう巨匠のまえに現われるのが、なに不自由なくゆたかな暮らしを生きているけれど、愛だけは知らなかった貴婦人の人妻マルガリータである。しかしマルガリータは巨匠と出会い、かれとかれの作品を愛し、な、ななんと、魔術師の子分の一人から、魔法のクリームを全身に塗られ、魔女になって箒に跨り、空を飛んでゆくのだった。つづきは読んでのおたのしみ。巨匠がマルガリータの愛の力で救済され、他方、巨匠がヴォランドの口添えで、二千年の悔恨に佇むポンティウス・ピラトゥスを、ペンの力で解放せしめる場面は、なんとも感動的だ。
さて、書評である。この作品には、ふたりの暴君が現われる、ひとりはイエス殺しのポンティウス・ピラトゥスであり、もうひとりは黒魔術でモスクワを大混乱させるヴォランドである。(もっとも、ポンティウス・ピラトゥスを暴君と見なすのは「歴史家の通説に従えば」という留保がいるかもしれない、そもそも聖書はかれを好意的に扱っているし、またブルガーコフはそれ以上に人間的な人物として描いているのだから)。また、巨匠は、美女マルガリータが悪魔の弟子になることによって、魔術の力で、助けられる。と同時に、巨匠はペンの力で、ポンティウス・ピラトゥスを、イエス殺しにまつわる二千年の後悔と煩悶から、解放する。救われるのはイエスではなく、イエスを刑にかけたことについて二千年煩悶しつづけたポンティウス・ピラトゥスである。ヴォランドもまた、罪のない人々を大いにもてあそび、ときに死に追いやり、お咎めはまったくなしである。悪魔のヴォラントは美女に魔法をさずけ、その魔法で巨匠を助け、そしてその巨匠のペンの力で、ポンティウス・ピラトゥスを二千年の慙愧から解放せしめる。
ここにあるのは、善/悪がメビウスの帯のようにつながっている世界である。あるいは善/悪が相互に依存しあっているといえばいいだろうか? しかもアクセントはどう見ても悪の側にある。おもえばミック・ジャガーは英語版『巨匠とマルガリータ』が出版されてすぐに『悪魔を憐れむ歌』を書いて歌ったものだ。ピンときたんだろう。もしかしたら(ザッヘル・マゾッホの血をひく)マリアンヌ・フェイスフルがシーツのあいだでミックに囁いたのかもしれないが、いずれにせよ、いいセンスですよ、当時ロックンロールに悪魔主義を持ち込んだローリングストーンズにぴったりだもの。悪魔への共感、それは反語でありながら、反語とばかりもいいきれないゆらぎをはらんでいて、この作品のエッセンスはまさにそこにあって。したがってこの小説のモラルメッセージは、〈世界が狂っているときは、世界以上に狂うんだ、狂った世界が笑い出すほどに〉なのである。