この本は、平成17年に親本(文庫本の元になった単行本を、こう呼ぶようだ)が出ていて、文庫本になって出たのが今年、平成20年5月である。
近年私が買うのはほぼ文庫本か新書版、よほどのことがないとハードカバーの単行本には手を出さない。書籍購入予算が大変限られているので、手を出せない、というのが正しい。それに、毎日の通勤に背負ってあるくデイパックに本を3冊入れているが、それがハードカバーなんかだったら重くてかなわない。
3冊というのは、「今読んでいる本、その次に読む本(上下巻の下巻や、続編の場合もあり)、2冊とも面白くなかった場合に、緊急避難するための1冊(歳時記、句集、川柳の本など)」という塩梅。最低その3冊持っていないと不安なのだ。
その上、手帳と眼鏡、多少の書類・郵便物・筆記用具が入っている。帰りに、その日買った文庫の新刊が3冊、などということがあると、私は本の行商に歩いている人のような感じになってしまう。飲み屋で「お荷物を預かりましょう」といわれたとき、「重いですよ」というのが常。本当に重いのだ。
そのためにも、とにかく文庫。
単行本の新刊を見つけて、「ああ、この人のこの本だったら面白いだろうなぁ」と思っても、ええーい、そんなに急ぐことはない、文庫化を待とう、ということになってしまった。だから、新刊単行本をどんどん紹介するような書評仕事はできないのである。
さて、宇江佐真理さんです。
このところずっととても楽しませてもらっているので「さん」がつく。時代小説で、どれを読んだらいいかな、面白い本はないかな、と迷ったらこの人です。「外れない」ではなく「ほぼ当たり!」なのだ。
この人なにがいいって、小説のタイプはいろいろあるけれどどれを読んでも基本的に「気っ風」がいい。男女のあれこれがややこしくなる小説でも、颯爽としている。相撲でいうと立ち会いがうまくて、軍配が返ったと思ったら、もうきっちり前褌をとられている、という感じ。最初の数ページで小説から逃れようがないという具合になってしまう。
それと、こういう人はなかなかいないが、江戸の町がきれいなんだこの人の小説では。いちいち細かく描写していなくても、江戸が見える。
共同の雪隠があって臭そうな貧乏長屋を描いても、その、江戸の風景の枠取りがくっきりしている。できの悪いテレビドラマの「ペカペカした」作りではなく、どうにも気分がよく出ている。
読む者には、これが大事。
風景が読者に明確に伝わり、その上で登場人物がしっかり個性を持っていて「いつも」素晴らしい。
宇江佐は「うえさ」だとばかり思っていたが「うえざ」と読むそうで、その由来がこの文庫のあとがきにあった。ファンなら知っていることかも知れないが、まだ知らない人のためにここには「書かないでおく」。私は、作家の名前やその本の出版社にあまり関心を持たないので、ほぉこういう名字もあるんだなと思っていただけだったが、ちょいと洒落た由来があったのだ。
「無事、これ名馬」というタイトルの時代小説で、どういう主人公を想像したか? 幕府の重役でもなく大藩の後継ぎでもなく、といって浪々の身の上でもなく、中級の侍の家に生まれた者が人生を無事に過ごしていく機微を小説に仕立てたと、想像した。一部考え方はあっていたが、文庫を手にとってカバーを読んでみるとそんな風ではなかったのだ。