しかし、仕事に情を挟まないということは、公明正大であるということの裏返しでもあるのだ。竜崎には、私心というものがまったくない。最大の力を発揮するために警察組織はどうあるべきか、どう動くべきか、ということだけを考えている人間なのだ。たとえば地域住民から防犯のためにパトロールを強化せよ、納税者のために働くのが当然だ、という要求をつきつけられた竜崎は、こう応える。
「納税者のために働けというのなら、私たちは高額納税者により多くのサービスをしなければならなくなります」
だから最大限できるだけの努力しかできない。警察組織は防犯のためだけに存在するのではなくて、他にも多岐にわたる仕事を抱えている。もし住民が権利を要求するのならば、当然何かの責任を果たしていただかなければならない――筋の通った話だが、こんな正論をいきなりぶつけてくる警察官はあまりいないだろう(善処します、という便利な言葉はそういう場面のためにある)。竜崎伸也はそれをやるのだ。
本書の前半では、拳銃を持った強盗犯による引きこもり事件の模様が描かれる。署長である竜崎は現場へ赴き、駆けつけたSIT(特殊捜査班)とSAT(特殊急襲部隊)が主導権争いをしている場に遭遇する。同じようにテロや立てこもり事件に対処するために組織された部隊だが、前者は警視庁、後者は警察庁の管轄下にあって互いに仲が悪いのである。竜崎は、迷わずSITを指名する。SATは武力制圧を目的として組織された集団だが、SITは武力に訴える前の交渉を得意とする部門だからだ。したがって事態が推移し、武力による突入やむなしとなったとき、竜崎は迷わずにSATに権限を引き渡す。この合理的な考え方こそが彼の最大の武器なのである。
だが、それが物語の後半で彼を窮地に追いこむことになる。突入時に犯人は射殺されるが、所持していた銃には弾丸が装填されていなかったのである。指揮を執った竜崎の責任が問われ、SITからSATに主導権を移したことを責められてしまう。権力闘争のスケープ・ゴートとして竜崎を使おうという勢力と、彼は渡り合わねばならなくなるのだ。『隠蔽捜査』では自身もただなかにいたキャリアの権力闘争が、今度はまぎれもない外圧として襲い掛かってくる。しかし竜崎の態度はゆるがない。
闘争において、少しの寝技も使おうとしないのである。あくまでも正攻法で勝負しようとする彼が、文字通り知力のみを駆使して事態を解決していく展開には大きなカタルシスを感じる。意外なほどにミステリー的な落ちがつくので、謎解きに関心がある読者も楽しく読めるはずだ。
ミステリーは非常に特殊な進化を遂げた小説形態だ。本書で今野は、そうしたジャンルのマニアックな読者にも目配せしつつ、人がまっとうな信念を持ち、まっとうにその職分をこなすというのはどういうことか、という極めて普遍的なテーマをも書き抜いたのである。だからこそ、山本周五郎賞と日本推理作家協会賞の同時受賞という結果をもたらすことになった。
深くもあり、広くもある傑作、必読だと思います。