どちらかといえば、この短篇集は、伝奇的な匂いが強いかも知れません。
まずは、忍者。そして、人魚。次に、不思議な光を発する夜光木。五穀を断って、草や木の実だけを食いつづけて生きる木食行者。南朝の落人部落。唐人が編みだした苗刀(びょうとう)なる刀術。戦国のかぶき者。最後は、クエを追う漁師。これは、そんな主人公やシチュエーションが織り成す、幻想的で、時にバイオレンスいっぱいの、少々風変わりな八篇の物語です。
それでは、例によって、何篇かの内容をご紹介したいと思います。
表題作の『軒猿の月』は、上杉謙信の忍者集団「軒猿(のきざる)」のひとり「月猿(つきざる)」と武田信玄に使えた渡り忍者「飛び加藤」との死闘を描いたものであります。
「軒猿」の名は、古代中国の皇帝で忍術の祖とされる軒轅(けんえん)皇帝に由来している。「軒轅」をノキザルと訓読みし、異なる漢字をあてはめたものである。「軒猿」なる一団の正体は、謎につつまれている。彼らに関する具体的な史料は、上杉家の公式記録にもいっさい残されていない。
「加藤者」は伊賀、甲賀、根来など、いずれの忍び組織にも属さない、はぐれ者的な小集団であった。その加藤者の象徴ともいえる存在が、戦国時代、諸国の群雄のあいだを鵺(ぬえ)のごとく渡リ歩いた「飛び加藤」だった。と、それぞれにその存在が物語の中で解説されています。
この「軒猿」のひとり「月猿」は、筋肉を自在に操り、思いのままに面相を変える“輪廻ノ術”を用い、一方の「飛び加藤」は、みちのくの蝦夷(えみし)の民が呪術に使う胡沙(こさ)笛を使う。謙信から「甲斐へおもむき飛び加藤を斬ってまいれ」と命令される「月猿」に対し、「飛び加藤」は、逆に「軒猿」狩りに動き出す。そして、二人の死闘が!
次の『人魚の海』は、新潟生まれの著者が、子供の頃、実際に見た夢から発想した一篇だそうです。
主人公は、やはり上杉家の家臣、神余(かみあまり)小次郎親綱(ちかつな)。上杉家の京方雑掌(ざっしょう)をつとめる武士で、子供の頃、北風と荒波に閉ざされた直江津湊の厳冬の冬景色に妖しい裸身をさらし、自分を手招きしている人魚の夢を見、それからも度々その夢を見るようになったという男です。
「あれほど綺麗な女を、おれはこの世で見たことがない」「その人魚が、子供の手につかみきれぬほど黄金をくれた。指のあいだからあふれて、水のなかへ落ちた」「大人になってからは、夢のなかの人魚は岸辺に近づかず、遠い波間からおれを見ていることのほうが多い。さっきも、そうだった」と、人魚の夢の話を語り始めます。