物事を論理的に考える習慣を身につけていることは、驚嘆すべきであり「封建時代の武家の奥方」といった、ただかしずいているばかりと思われがちなその時代の女性たちとは全く違っている。こういう人ばかりではなかっただろうが、この新書で紹介する内容を読むと会って取材したくなるような、ステキな人物に思えた。
天保の改革をすすめる、水野忠邦などを冷徹な目で見ていて、倹約しろと人には言うけれど、自分自身は「賄賂の山、贈り物の山」を築いてはばかることなく暮らしているではないか、と書く。けっこう「舌鋒鋭く」書いているので、女性評論家といった趣満点。
また、もう「地球は丸い」という知識は入ってきていて、そのことは本で読んでいるのだが、こういうことはきちんと実証してもらわないまま信じるわけにはいかないと書き、上空遙かに浮かんでこの地上を見下ろすということでもして「この目で見ない限り」信じられない、と書いている。地球が丸いなんてはずはない、というのではなく、西欧の「科学」のありようを理解してはいるが、自分は鵜呑みにできないと、明言している。「地球は丸い」が当時の日本では常識ではないと思うけれど、そういう情報に対して自分が信ずるに足りる実証がないとにわかに受け入れるわけにはいかないというのが、冷静で素晴らしい。
天保12年閏1月7日、十一代将軍家斉が死んだと井関隆子は聞かされる。
しかし、徳川家の公式記録ではその月の末日に逝去したことになっている。歴史書では月末の死といういことで歴史になっているが、どうも事実はこの日記の中に書かれている日が正しいらしい。息子と孫が江戸城の奥深いところに勤めているということでこうしたことが彼女には伝わり、日記に書き残されているというわけだ。
家斉の死のあとに、いよいよ水野が権勢を振るい天保の改革を始めるが、この改革の最中の旗本の生活の様子、水野が罷免されたあと「いい気味だ」という気分あふれる文章、さらに、江戸の庶民が罷免と決まった水野の屋敷を囲んで石を投げつけて大騒ぎになったという街の様子など、大きく時代が動いた時期の、その中心に近いところで見聞した「事実」がとても面白く、歴史は「こういう風に面白いぞ」というのに格好な例とも言える。
この本は、日記の面白いところを紹介しているが、日記その物が全三冊としてまとめて出版されているので、この本を読んで全部読みたくなったらそちらをどうぞ。 ああ、こういう女性が江戸時代にいたのだ、いてくれたのだと感心し、感動してしまった。
しかし(ブックレビューでこういうことは書かないものかもしれないけれど)、「旗本夫人」だの「エスプリ日記」だの、江戸に関した本を興味深く読んできた人間には「がっくり来る」「絶望的に」ダサイ書名、副題をつけなくてもいいでしょう。
編集者のセンス、というのはこのあたりなのか。 書店で本を手に取り、中を見たから買ったけれど、書名だけしか知らなかったら私はこの本は買わなかった。持っているのが恥ずかしい書名です。
それは、言っておきたい。