またハワイを攻撃するときに徹底して鍛えた抜群の腕を持つ海軍の航空隊は「群れで使ってこそ」攻撃力があり、爆撃機と戦闘機の呼吸が合い、波状攻撃も腕のいい同士、共に訓練を重ねた同士がやれば効果も高いというのに、帰国してバラバラにしてしまう首脳部。未熟な飛行士を乗せて行った空母の弱体ぶりを嘆く著者。
そうして、日本軍の「後退が始まる」大きな契機になったミッドウェイ海戦の時、この淵田は空母に乗っていて盲腸になってしまう。これも「非常事態だからと」我慢し続けたものでひどい状態までいってしまう、瀕死と言っていい症状になり、ついに艦内で手術を受けて命拾いをしている。この後、戦場を離れて暮らすことが多くなる。
真珠湾攻撃の先頭に立った人物が、戦後まで生き残り自叙伝を書いていたなどと知らなかったので非常に興味深く読んだ。
非常に冷静で、作戦に対して理詰めで緻密。それでいて日本の軍人としての態度もしっかり持っている。日本が戦争に踏み込むかどうかの悩みは、この人にはなく、「戦争するとなったら」どういう先制攻撃が有効かを問われての立案だ。だから、真珠湾攻撃が奇襲であることにためらいもないし、攻撃の先頭に立ったのも命令されての任務だから、戦後の裁判で責任を問われることもなかった。きっと呼び出されて質問されるだろうとは覚悟しているのだが。
さて、昭和20年8月5日、淵田は広島にいた。その日の仕事を終えて、「明日」になってから移動しようとのんびり構えていた。そこに連絡が入って、その日の午後広島を離れた。そして次の日、淵田は半日前にいた広島の悲劇を知らされる。そして7日には、岩国に飛んで、そこから広島の惨状を見に行くことになった。いなかった一日に起きたことを目の当たりにする。
こうして、淵田は、何度か命拾いすることで私は「助けられている」と思うようになる。単純な言い方をすると、そうなる。
では、助けてくれているのは誰か? 神である。
この自叙伝の後半は、神を信じるようになってその伝道のために旅する淵田という人物の自叙伝になっていく。それもアメリカ大陸で伝道するので、むこうで大統領にも、マッカーサーにも、ニミッツにも会って、「あなたがあのときの隊長だったんですか」と歓迎される。
この辺の話になると、これまでこういう戦争本を読んだことがなかったので奇妙な感覚に陥ってしまった。
あちらの連中は、戦争に勝って、あれは過去のこととして、今はキリストの教えの伝道に旅している淵田キャプテンを温かく迎えるのだが、私には「わからない部分」がある。
だから、強い印象を残した本だった。二度と戦争はしないものだという人物が、開戦の一番手だったことも不思議な巡りあわせ、か。