時代が悪かったというのは、このダーウィンの説を自己の理論に有利に利用しようとした人間が、それも影響力のあるものがあらわれてきたからだ。有利な形質をもったものがより多くの子を残す――すなわち、世の環境にもっとも適したものだけが生き残る、という論から、最適者生存という考え方が生まれた。これを広めたのは十九世紀のイギリスの哲学者であり社会学者であるハーバート・スペンサーで、彼はその著書「社会進化論」の中で、この社会でよりよく適合するものが成功者である、というイメージを与えることになった。
この理論から一八〇〇年代後半のアメリカ東部の金持ちたちは、自分たちこそこの社会での最適者であり、成功しない人間はこの社会に適応できないのだとして、金儲けに走ること、人を犠牲にして成り上がっていくことは進化論上からも正しいことであるという風潮を生んだのだった。このことはやがて「弱肉強食」という考え方、強い者によって弱いものは餌食にされるのはこの世の習いである、という考え方を生んでいく。
もう一つ、この進化論自体に悪い印象を与えたものに、ナチズムの台頭がある。彼らは劣等民族は最適者が駆逐するのが当然である、という考え方に進化論を利用していく。もうひとつ、この時代に勃興した主義思想の共産主義もこの理論を、いいように利用した。特にカール・マルクスはダーウィンの進化論が自分の唯物史観の着想に寄与したとして、彼の著書「資本論」の第一巻をダーウィンに贈呈したほどだった。マルクスの考え方は、資本主義は社会進化論を根拠にしているが、その資本主義自体もやがては淘汰される、というものだった。その他、「生命の起源」のオパーリンをはじめとするソ連の科学者たちも、進化論を共産主義理論に都合よく利用した。それらが西洋社会で、進化論は胡散臭いもの、と認識されていくようになる。
だが、進化論の最強の敵となったのがキリスト教――中でも、福音派プロテスタントの人々で、彼らはキリスト教正統派、後にキリスト教原理主義として知られる、聖書に忠実な信仰を持った人びとだった。このファンダメンタリストたちは、ダーウィンの進化論、エボリューションに対して、世界の全ての生物は神が創ったという創造論、クリエーションを信奉していた。人間の祖であるアダムとイヴとは神(ヤハウェ)によって創られたものだという考え方を創造論といい、これを正しいとする人を創造論者という。
創造論者は、アメリカの中東部、いわゆる南部諸州の「バイブル・ベルト」、一般に「篤信地帯」と訳されるキリスト教信仰心の篤い地域に多く、一八五九年にダーウィンの「種の起源」が発表されてから、この進化論は自然科学ではなく「無神論的物質主義的学説」と混同されるようになり、無神論を敵視するキリスト教保守派から悪であるとされるようになった。異教徒は敵ではない、と彼らは考える。異なった宗教であっても、それなりの神を信じているなら、そこには悪魔が入り込む余地がないからだ。だが無神論者には、悪魔が入り込む。だから異教徒よりも無神論者は悪なのである。そう考える人びとから、進化論イコール悪魔、という図式が二十世紀初頭の南部バイブル・ベルトの人びとの常識のようになっていった。