ちょうどその時期、アメリカでは公立学校教育がはじまり、児童を一堂に会して全員に同じカリキュラムを教えることになった。その生物の時間に進化論の授業が持たれ、これに対して聖書の字句を一字一句正しいものとする「聖書無謬説」をとるキリスト教福音主義保守派が、この公立教育の中の進化論授業を問題視するようになった。それが進化論派と創造論派との具体的な戦いのスタートだった。
反進化論派を率いたのは、三度の大統領選で落選しながらも時のウィルソン政権で国務大臣を務めた論客、ウイリアム・ジェニングス・ブライアンだった。彼は人種差別主義や優生学の正当化の論拠となる社会的ダーウィニズムを、キリスト教の教えそのものに背く悪魔の理論として、アメリカ中に蔓延していくことを断固として阻止しようとした。そしてこの反キリスト教的理論が力を持つことを防ぐためにファンダメンタリストたちと手を結び、アメリカ各州の公立学校の教育の場で進化論を教えることを禁じる法律を次つぎと成立させていった。一九二〇年代初期、南部のいくつかの州では反進化論法を通過させた。
それは「バトラー法」として知られるもので、「人間は下等な動物から進化したと教えることは犯罪である」というものだった。
それに危機感を募らせたのがアメリカ公民権連合(ACLU)で、彼らは進化論を教えることを禁じた法律を裁判で決着をつけようと考えた。そこで、テネシー州デイトンの町の高校の生物の時間にジョン・スコーブス教師に進化論を教えさせ、反進化論派に告発、逮捕させることにした。その作戦を考え出したのはACLUのリーダーでもあり、当時、炭鉱スト、鉄道スト、また児童誘拐殺人事件として知られるロープ=レオポルド事件などを弁護して被告人に勝利をもたらした法廷弁護人クラレンス・ダロウだった。 労働者や庶民の味方として名を馳せていた彼はこの裁判で、反進化論派を徹底的に敗北させようと狙っていた。ブライアンが告発側の検事役になった。この裁判は世紀の見世物として全米中、いや世界中のマスコミの注目の的となり、現在までこの裁判を題材にした映画が三本作られている。もっとも最近のものはダロウにジャック・レモン、ブライアンにジョージ・C・スコットが扮した二〇〇一年の「風の行方 聖書への反逆」は有名である。
裁判は進化論支持派の勝利に終わった。ブライアンはこの世が創造されたのは紀元前四〇〇四年であるというイングランド国教会の大主教ジェイムズ・アッシャーの唱えた説を死守したために、結局はその理論によって自らの首を絞めることになったのだ。この裁判で、聖書は間違っていないという「聖書無謬説」は根底的に批判された。
だが、キリスト教原理派はその敗北を黙過しなかった。その後の若い世代が、聖書を後生大事に持ち上げるのでは説得力に欠けるのではないかと反省し、ダーウィンの進化論と同じ科学の地点に立って、反進化論を展開することになった。そのひとつの説がこの「進化のイコン」を書かせることになるインテリジェント・デザインである。「ID理論」と呼ばれるこの理論は、聖書との関連を一切述べず、ダーウィンの進化論はまだ完全に科学的に正しいと証明されたわけではない単なる仮説にすぎない、と主張する。そして進化論の内容が科学的でない事実が多く取り入れられているという論拠を列挙することにより、一見純粋な生物科学教科書のような体裁をとって学校に配布されるものだ。この世界は、進化論では説明しきれないより高度な知性によってデザインされたものだとして、その新説をも進化論と同様に教科書に取り入れて学校で生徒に教えるべきであると要求しているのである。この本では、ダーウィンの進化論が生物の教科書で用いられているさまざまな図像、イコンが、嘘っぱちであると、一見科学的に論証しているのだ。
アメリカでは現在、61%の学校が進化論を教えていない。その現実を我々は遠いことのように考えている。この本は、進化論に対する科学的否定をテーマのようにしているが、実はその背後に宗教と科学との長い戦いの歴史をうかがい知れるいい本である。ガリレオ対バチカンの時代からの積年の確執――科学と宗教は共存できるのか、という人びとの目には触れにくい暗く深い問題を、この本はその意識を持って読むものには多くのことを教えてくれるのである。日本人は進化論に対して、あまりにもイノセントすぎる、とつくづく思い知らされることだろう。