高い文明批評性や、市井の人々に対する温かな眼差し、潔癖な感受性といった彼の文学の特徴は、コミュニストとしての経歴、社会の底辺から身を起こし、自ら人生を切り拓いてきた人間の世界観が関係しているのかもしれない。若書きの作家とは一線を画した成熟した眼差しは寛容でありながら、時に社会に目を向けようとしない者には辛辣ですらある。
たとえば、『リカルド・レイス死の年』では、サラマーゴが敬愛してやまないポルトガルを代表する大詩人フェルナンド・ペソアに対してでさえ、舌鋒を緩めることはない。この小説はペソアの異名レイスを主人公にポルトガルの歴史的転換点である1936年のリスボンを描いているのだが、この激動の状況に関心を示そうとしないペソアに対して、この歴史的転換点にあなたはなぜ発言しようとしないのか、そう問いつめようとしているかのような表現が幾度となく出てくる。件のごとく、引用符(「 」)、改行はほとんどなく、1センテンスが1ページを超える長い文章がリスボンとレイスの内部を往還し、縫うように迷走するのだが、それは決して読みやすい体の小説ではない。サラマーゴは生来の物語作家なのだが、甘いものをほしがる大衆に対して、それをいさめるように、安易に手に入るものを遠ざけようとするきらいがあり、自らに対しても易きに流れることのない高い芸術性を課しているような節がある。
こうしたサラマーゴの作品群の中にあって、本書がベストセラーを記録したのは物語としての完成度もさることながら、読みやすさにその秘密があったのではないだろうか。『白の闇』は1万部も売れればベストセラーになるポルトガルにおいて、瞬く間に10万部を売り切ったという。
本書は大西洋を挟んだ対岸のブラジルでもベストセラーとなり、その読者の中に映画『ブラインドネス』の監督フェルナンド・メイレレスがいた。メイレレスは一読して映画化を思い立ったという。ところがサラマーゴは映画化の話を頑として拒否し続けた。「映画は想像力を破壊する」というのがその理由だったという。
メイレレスは当時まだ一介のCMディレクターに過ぎず、『シティ・オブ・ゴッド』で名声を得るまでには数年を待たなくてはならないし、『シティ・オブ・ゴッド』に続く『ナイロビの蜂』で、ハリウッド的成功を手に入れるまでには10年の歳月が必要だった。
サラマーゴがどのような経緯で、映画化を承諾したのかはよくわからない。メイレレスたちの熱心な誘いがあったのは当然として、それだけではないことはあきらかだ。サラマーゴ自身、この作品を書き上げた1995年当時より、小説のモチーフである「われわれは実際にはみんな盲目じゃないか」という疑念に対し、21世紀のいま、よりリアルな恐怖感を覚えているのではないか? いまわれわれが知っている21世紀的な現実、「9.11」「アフガニスタン侵攻」「イラン戦争」「環境破壊」「食糧危機」「世界恐慌」…世界が抱えているこうした病いこそ、なにも見えていないにもかかわらず、見えていると錯覚したわれわれの、欲望のままの振る舞いが引き起こしたことにほかならないのではないか? サラマーゴはこのことを放置できないと考えたに違いない。小説で足りなければ、映画を使ってでもメッセージを送り出す必要があると。
『ブラインドネス』は、どこか架空の国が「白の闇」に包まれるという原作と違って,世界中が失明するという設定に変わっている。むしろそのほうがサラマーゴのメッセージにはふさわしい設定だろう。
21世紀を生きるわれわれは、世界があまりにも複雑に絡み合い、「解」が見いだせないと考える。果たして、問題は「外部」にあるだけだろうか? サラマーゴは首を横に振るに違いない。外にある「悪」に対しては、敢然と闘いを挑まなくてはいけないが、本当の「悪」は、われわれの内部にあると考えているのではないだろうか。
サラマーゴはコミュニストであると同時に、宗教心に厚いモラリストでもある。寓話作家とは、本質的にモラリストである。さらにいえば、神を内部に抱えていると言い換えることもできる。カフカが寓意的な作風を持ちながら、物語が収斂を拒否し続けるのは、彼が神を抱えてはいなかったからだろう。
サラマーゴを読むには、キリスト教の理解が不可欠だとは思わない。しかし、自らのモラルを問い直すことなしに、読み終えることはできない。そんな実感が、読後に残った。