彼らは皆50代半ばに達し、残された時間のことを考え、若き日々に思い描いていたほど人生が楽天的なものではないことに打ちのめされている。かつての政治的論議がいつの間にか、増え続ける体重や皺そして忍び寄る病気の話題へとすり換えられていくような日々を過ごしている。誰もがそう簡単に癒されも救済されもしない。それどころか、一つの誤りがもう一つの誤りを誘発し、より道筋を複雑にしていくような個人史の数々が、同窓会でのやり取りの場面と交互に、これでもかとばかり吐露されていくのである。
この本を読んで、あの60年代からいかに遠いところまで来てしまったかを、我が身を思いながら実感する読者も少なくないだろう。ある女性の登場人物が言い当てる現状認識はこうだ。
「私がいらいらさせられるのわね。(中略)みんながいまだに、60年代にべったりしがみついていることなの。あのころはビューティフルで、ピュアで、パーフェクトだったね、みたいなこと。(中略)幸福になるのがいやなの。成長するまいと思っているの。正直な話、今という時代のいったいどこがいけないの? 私たちはもう大人なのよ。安楽な暮らしをして、どこがいけないの?」
その彼女が別の場面で言う科白も独特のアイロニーに満ちたものだ。ビートルズの名曲であり、フラワー・ムーヴメント時代の賛歌ともなった『愛こそすべて』に引っ掛けて、彼女は辛辣に言い放つ。「愛こそはすべてだなんて、いったいどうやったら思えるのかしら。すべての半分だっていかないわ。あなたが必要とするのは、ちゃんとした家よ。あなたが必要とするのは、優秀な腫瘍専門医であり、腕のいい外科医であり、強力な薬がストックされた薬品棚なのよ。」
それでも、本書でティム・オブライエンが描き出そうとしているのは、かつて光り輝いていたものを見失わないように、不器用ながらも孤軍奮闘している大人たちのひたむきな姿だ。時間の流れのなかで人はあまりにも多くのことを忘れていくが、少なくとも自分で選択したことに関しては、きっといつまでも覚えているのではないか。そんなやや訓話めいた会話を終盤に用意するなど、どうやらオブライエンは60年代という時代が導いた夢の領域というものを必死に守ろうとしているように思えてならない。
作家オブライエンについて簡単に触れておこう。1946年にミネソタ州オースティンに生まれた彼は、69年から約一年間ヴェトナム戦争に歩兵として従軍している。その体験は『僕が戦争で死んだら』や『本当の戦争の話をしよう』といった作品に色濃く映し出されているが、一方で“オブライエンはいつもヴェトナムのことばかり書いている”といった批判にも晒された。そのことで一度は作家生活からの引退や自殺までを考えたというから事態はのっぴきならないことだったのだろう。ひとつの時代を繰り返し書き続けることの方が、よほど強い心の芯がいることなのに。
最後にもう一度、本書に登場する音楽の話を書き留めておこう。かつての仲間たちがともにバーへ繰り出すシーンだ。その店のジュークボックスからはボブ・ディランが69年に吹き込んだ懐かしいカントリー音楽調の『レイ・レディ・レイ』が流れ、彼らはそれに合わせて調子外れのコーラスを大声で付けている。反逆と抵抗の詩人と謳われたディランにしては、甘く直裁なラブ・ソングであるこの曲の評判はあまり芳しくなく、かつての彼らも小馬鹿にした曲だった。しかし彼らは今、その歌に愛を感じている。いささかの感傷。互いを慈しみ合うような友愛。あるいは、今ここにいない誰かを強く思うような気持ち。こればっかりは、歳月というものが彼らに運び込んできた柔らかな心の流れだろう。
そんな『レイ・レディ・レイ』を聞いている彼らのテーブルに、だぶだぶのストリート・ファッションをした今風の若者がやってくる。彼が馴染んでいる音楽はヒップホップかもしれない。ニルヴァーナのようなグランジ・ロックかもしれない。そして恐らく彼には彼の正しさというものがあるだろう。とどのつまり、人はそれぞれの歌を歌う事しか出来ないのだから。その若者は残酷なことに、“60年代のめそめそしたゴミみたいな音楽”を止めてくれと50代半ばの彼らに苦情を言う。それでも彼らはめげたりはしない。きっとティム・オブライエンも。