その人を知るためには、その人が生きた時代を知らなければならない。ひどく当たり前のことのようだが、近頃ふと思い到るのはそんなことだ。例えば老いつつある両親のことを考える際、私は彼らの戦争体験に思いを馳せ、50歳になった今の私が自分を振り返る時も。戦後のベビー・ブームを重ね合わせる。かくの如く、人は誰もがそれぞれに帰属する時代というものを持ち、そこから逃れることは出来ないのだろう。
いわゆる団塊の世代と呼ばれる人々が社会の第一線を退き始めた昨今、彼らが生きた時代を考察したルポルタージュは後を絶たない。そんな意味では、この小説もまたあの時代へのレクイエムなのだろうか。自分の世代より10年年上の先輩たちを見送るような心持ちで、私は静かな手応えとともに本書を読み終えた。ドキュメンタリーやノンフィクションもしくは映像といった手法ではどうしても説明的になってしまう部分も、ここでは程良く抑制され、着想豊かにストーリーは運ばれ、登場人物たちも魅力的である。こればかりは小説の持つ自由な広がりに違いない。
物語の骨子はいたってシンプルだ。脳腫瘍に冒され死期を悟った主人公の直美が、病床で自分の半生をカセット・テープへと吹き込み、娘たちに託す。翻訳家であり詩人でもある直美は45歳の若さで亡くなってしまうのだが、そんな彼女が生きることを模索した若き日々を再現することに殆どのページは費やされている。
時代背景となるのは70年代を迎えつつあった日本。学生運動の余塵がそこかしこに燻るなか、70年ちょうどに開催された大阪万博がひとつの舞台となり、華やかなその会場で働くことになった直美の適わぬ恋愛が語られていく。この大阪万博によってやっと戦後が過去のものになったという記述もさらりと出てくるが、見方を変えればそれだけ戦後という影を未だに引きずっていた時期だとも言える。
直美の祖父が東京裁判で裁かれたA級戦犯であり、そのことで何かしらの負い目を背負わざるを得なかった家庭の事情が仄めかされているように、いくら高度成長を遂げていった時代とはいえ、まだまだ社会には旧弊が立ちはだかっていたことを、文中から想像してみて欲しい。
「私はボブ・ディランを聴きながら、サルトルを読んでいました。それが私にとっての1969年でした」「目の前にあるものすら見えないふりをしているのがいまの時代なら、誰もが見えないものまで見ようとしていた――恐らく、それがあの時代でした」と直美は回想しているものの、そんなリベラルな気風を持った彼女でさえ、自由恋愛を阻む家族に囲まれ、許嫁(いいなずけ)という古めかしい風習に多感な時期を翻弄されていたのがあの時代の実情だったのだ。
そうした保守的な環境と戦い、また独立を夢見ながら直美がやっと掴み取ったのは、臼井という青年との激しい恋だった。しかしここにも当時からタブー視されていた出自の問題といった障害が立ち現れ、その越えられない壁に破れた直美は、やがて他の男性とお見合いをして小さな幸せに収まるという、ほろ苦い選択をせざるを得なかったのである。父親世代の価値観に疑問を抱き反発を繰り返しつつも、そんな自分さえ皮肉なことに結局は現実と妥協せざるを得なかった…。この引き裂かれた感情はいつも直美を苦しめ、自責の念と煩悶を繰り返す日々へと彼女は規定されていく。こうした展開に団塊の世代の挫折を二重写しにするのは、深読みが過ぎるだろうか。
消極的に取り交わした結婚、幾つか重ねた不実、そして待ち受ける死という運命と、直美のその後の人生はけっして恵まれたものではなかった。そうした意味ではあまりに不器用な青春を描いた小説だ。それでも後味が暗くない、いやむしろ爽やかな余韻さえ残すのは何故だろう。それはひとえに直美という女性が、自分の過去に正面から立ち向かい、残された者たちへ正直に伝えようとする一途さから来るのではないだろうか。その人が抱えた物語や生きた時代といったものは、とどのつまり他人や次の世代へと託されることで初めて生命を吹き返すのだから。
ちなみに『水曜の朝、午前三時』というタイトルは、知る方も少なくないだろうが、サイモン&ガーファンクルの同名曲から引用されたものだ。その例にもれず本書には、ジョニ・ミッチェル、ジャニス・ジョプリン、フランク・ザッパ、CCRといったあの激動する季節を彩ったロック音楽が変奏曲のように鳴り響き、60年代の群像を記したティム・オブライエンの『世界のすべての七月』のことを思い起こさせる。そして何よりも、この書のプロローグとエピローグの語り部が、直美の息子世代である“僕”だという設定に、作者の願いが込められている気がしてならない。