ターゲットを仕留めるために着々と計画を進める暗殺者と、それを阻止すべく奔走する捜査当局。ゼロ・アワーが迫る中、果たして最後に微笑むのはどちらか?
ミステリの中でも一際サスペンス度が高く、緊迫感を保ったまま一気呵成に読ませてしまう<暗殺者もの>。このジャンルの代表作と言えば、なんと言ってもフレデリック・フォーサイスの出世作『ジャッカルの日』(角川文庫)だ。極右軍事組織によるフランス大統領ド・ゴール暗殺未遂事件に材を取った、この不朽の名作を筆頭に、古くはJ・J・マリックの『ギデオン警視と暗殺者』(ハヤカワ・ミステリ/残念ながら現在絶版)やジェフリー・アーチャーの『大統領に知らせますか?』(新潮文庫/これも残念ながら現在絶版)から、最近ではヘニング・マンケルの『白い雌ライオン』(創元推理文庫)、グレッグ・ルッカの『暗殺者(キラー)』(講談社文庫)、さらにはジェフリー・ディーヴァーの『コフィン・ダンサー』(文春文庫)に至るまでいくつもの名作が、数多くの読者をはらはらどきどきさせ、至福の時を与えてくれてきた。
『コマドリの賭け』(ランダムハウス講談社文庫)は、これらの傑作と肩を並べる第一級のエンターテインメントだ。作者のジョー・ネスボは、ノルウェー・ミステリ界の第一人者であり、本書は、彼の代表作である<ハリー・ホーレ刑事>シリーズの第三作に当たる。三十代前半、鍛え上げられた192センチのスリムな長身、酒と音楽に目がなく、少々だらしないくせになぜか女性にはもてるハリーが活躍するこのシリーズは、現在までに七作書かれており、第一作が最優秀北欧犯罪小説賞――あのスティーグ・ラーソン『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』(早川書房)やヘニング・マンケルの『殺人者の顔』(創元推理文庫)も授かっている--を受賞している。本書も二〇〇七年には英訳されて、英国推理作家協会のインターナショナル・ダガー賞の候補作となった。これまでほとんど翻訳されず、ミステリ・ファンにとって馴染みがなかったノルウェーから、まさに満を持しての登場である。
物語は、一九九九年十一月一日、オスロ近郊の高速道路の料金所で幕を開ける。中東和平会談の為に訪れたクリントン大統領の警護にかり出されたハリーと相棒のエレンは、不審な人物を発見。大統領車が迫る中、ハリーは撃つべきか否かの決断を迫られる。このハイテンションなシーンから一転、次の章では時間が一月もどって、ネオ・ナチ党員によるヴェトナム人襲撃事件の裁判でハリーが証人台に立つシーン、一人の老人が末期ガンの宣告を受ける場面、そして外務省主催による一ヶ月後の中東和平会議における警備体制を決める会議へと、目まぐるしくもテンポ良くストーリーは展開していく。
ここまででわずか六十ページ。全体の一割にも満たないこの第一章「土は土に」で、これから起きる事件のスケールの大きさを予感させた後、第二部「創世記」では、一気に時間と空間を跳躍して、舞台は一九四二年十二月のレニングラードへと移る。東部戦線における激戦の一つ、レニングラード包囲戦で、占領国であるナチスドイツに協力してソ連と戦う五人のノルウェー人の若者たち。生き延びることで精一杯という絶望的な状況下、生と死、自らと国家の行く末、さらには資本主義と共産主義について語り合う彼らだが、悲劇は否応なく襲い来たり、ヒーロー視されていた青年ダニエルが凶弾に倒れる。
一方、一九九九年のオスロでは、余命幾ばくもないことを知ったダニエルと名乗る老人が、ネオ・ナチの一員に近づき、究極の殺人兵器と呼ばれる特殊な暗殺用ライフルを入手。偶然、くだんのライフルがノルウェーに持ち込まれたことを知ったハリーは、誰が何の目的でこの恐るべき凶器を手に入れたのかを探り始めるが……。
第二次世界大戦中、ナチスドイツの侵攻を受けたノルウェーでは、王室がロンドンに亡命。その後、激しいレジスタンス活動を繰り広げる一方で、傀儡政権である<国民連合>の呼びかけのもと、ドイツに協力して連合国と戦った若者も数多く存在した。ナチスの非人道的行為を知らされることなく、プロパガンダを信じて、“共産主義の手先から祖国を救う”べく戦った男たち。本書でハリーが探り出し対決することになる老人も、その一人だ。死を目前にした彼は、これのでの全人生の意味を賭けて、「公正」と「審判」を求める。戦後反逆者として処罰された後、急速に忘却の彼方へと追いやられた同士の無念さを胸に秘めて。
作中、ハリーに対して医学を捨て歴史学に転向した人物が、「ひとりの人間、ひとつのイデオロギーがなぜかくも多くの人々を魅了するか、その謎を解きたかった」と、真情を吐露するシーンがあるが、これこそが本書のテーマだ。信念に従い、極限化にあっても、決して付和雷同することなく、常に自ら判断し行動する。そんな強固な意志を持った人物に、作者は強い共感を覚え、勝者の側からのみ語られてきた歴史に、あらためて敗者の側から一ページを書き加え、一方に傾き続けていた天秤の針を、中心へと近づけた。
ここまで読んできて、なにやら堅苦しくて陰鬱な戦争文学か、と敬遠される方がいるとまずいのであわてて断っておく。本書は、なによりもまず第一級のエンターテインメントである。狩る者と狩られる者というよりは、狩る者同士による手に汗握るサスペンスであると同時に、丁寧に伏線が織り込まれた謎解きミステリであり、さらには二つの時代――四〇年代と九〇年代――を舞台に、運命に翻弄された男と女の悲恋を描いたラブストーリーでもあるのだ。
前述したように、本書はシリーズの三作目。隣国スウェーデンが生んだ、警察小説の金字塔であるヘニング・マンケルの<クルト・ヴァランダー>シリーズ同様、今後どんどん翻訳して欲しいものだ。さらに、これが契機となって北欧のミステリ作家の紹介が進むことを望んでやまない。何しろ歴代の最優秀北欧犯罪小説賞の受賞者として、まだ見ぬ実力者が九人も控えているのだから。