近頃よく見かける風景として、古地図を片手に江戸の名所旧跡・故事来歴を訪ね歩く、帽子を被ったおじさん・おばさんの集団に出くわす事がある。人気の蕎麦屋や寄席の通人を気取る人たちばかりではなく、街角探訪的にも確かに「江戸ブーム」というのがあるらしい。この分野の歴史物ムックや古地図付きガイドブックも数多く出版されているが、今のところ、この現象は時間に余裕のある中高年やリタイア熟年の人たちが中心といった印象である。
ここに、山本一力が東京での原点を忘れることなく、若き日々の記憶と江戸的風景とを重ね合わせた青春フォトエッセイの『東京 江戸歩き』を紹介したい。本書は大江戸ガイドブックではなく歴史考証や名所旧跡の薀蓄でもない。利発でも未熟な一地方人が、青春時代に行き合わせた場所と思い出深い事柄を、若い世代に響く珠玉の心根で描いた風景アルバムである。
昭和三十七年、高知から蒸気機関車で上京して来た山本少年が見た東京の風景。 自動ドアで閉まる電車、ホームが幾つもある鉄道の駅、地べたの下を走る地下鉄、何局も放送されているテレビやラジオ、分厚いページ数の新聞、コンクリートでできた中学校の校庭、十四歳の少年にとって身の回り全てのモノが驚きのタネだった。その上に、二年後の東京オリンピック開幕に向けた随所での突貫工事が進み、みるみる表情を変えてゆく近隣の街並み。新聞配達の傍らで、未だ馴染みの無い東京の変貌に戸惑いながら、少年が高知で抱いていたイメージとすでに残像となった現実のギャップに真正面から向き合う事になってゆく。
このフォトエッセイは、著者が新聞配達をしていた少年時代には行きたくても行けなかった東京を取り返すべく、社会人となってから夢中になって歩いた場所の記憶を辿ったものであることが判る。これらの場所の多くは、江戸の面影が残った地名と共に著者の深い思い出が投影されているが、もはやかつての表情は残っていない。しかし、その心情を自身の若き日々の「記憶」というアルバムの中では、今もいささかも色褪せていないと、本書の「あとがきのようなもの」で書いている。
上京以来、四十三年間の東京生活の中で歩き周り、また自転車で走った幹線道路や商店街、そして住宅地の路地や坂道に及ぶ地名と出来事の交叉する私的風景。著者の心情を裏打ちした写真の持つ情緒感も秀逸である。
同じような時代と地域を共有していた頃の自分自身にも、特に記憶に寄り添う場所と言うものがあるので、本書の中から印象に残る幾つかのエッセンスを予告編的に引用してみたい。
【 かれこれ三十年ほど前の梅雨明けの初夏。滅多に頼みごとをしてこない母に乞われて、一緒に千駄木界隈を歩いた。「あの欅には、白薩摩が似合いそうやねえ」。 呉服の仕立て職人だった母は、千駄木の茶店で欅の古木の向こうに遠い昔を見ていたのだろう。古い町には坂と古木がよく似合う。 】
千駄木「欅と白薩摩」
【 無縁坂。切通坂。三組坂。妻恋坂。どの坂も、大きな秘め事を隠し持っているような味わい深い名前だ。登り坂の頂上になにがあるかは、下からは見えない。ゆえに坂を登る者は、わくわくと胸をときめかせる。 】
湯島「男坂女坂」
本書に挿入されるモノクローム写真の、極端な画角を慎重に避けた静謐な眼差しは、なぜか子供や老婆や職人と通行人までもが、皆うしろ姿で写っているのが面白い。画面に占める群像の存在は決して大きくはなく、エッセイによる場所柄と人情の絡みから、そこに映し出された領域は無名の人びとを配置した特別な風景を形作っているように思える。また、エッセイでは場所によってはウェットな心情だけでなく、微笑ましい描写や華やかな雰囲気に目を向けている箇所も多くある。