【 土地柄と言うべきか、客の顔ぶれは彩りに富んでいた。水戸泉関と、狭いサウナで一緒になった。「うおっす」関取ははにかんだような笑顔を見せた。窮屈だったサウナの中が、いきなり明るくなった。 】
浅草「今戸温泉」
【 神楽坂の本来は武家の町だった。関東大震災で町の顔が大きく変わり、花街として艶っぽい姐さんたちのお参りが桁違いに多くなった通りには、大輪の花が咲き乱れていた。ほとんど素顔の芸妓さんたちが、普段着のあわせを着て毘沙門天の周りに群れていた。神楽坂は武家よりも女性が似合う町だ。 】
神楽坂「毘沙門天」
著者は、この「記憶」のアルバムに貼りつけられているのは場所の画像のみにあらず、そこに佇んで風景の後ろから聞こえてきた音や漂っていた香り、また、悴んだ手をこすった時の凍え、肩を寄合って交わしたささやきなど、五感で得た思い出の濃淡が立ち上ってくる、とも語っている。
【 会社経営の舵取りができず、ビデオ制作会社を倒産させてしまった。しかし借りたものは返す。当たり前のことだが返済手段がなかった。元手はないが、汗はとことん流せる。智恵は命がけで搾り出す。書くことならできる。あとは、なにを書くか。そうだ、大川(隅田川)を書こう。いきなり主題が決まった。 】
隅田川「佃大橋」
【 今日は夜中まで、時間が好きに使える。行きたい場所があったわけではない。新聞配達に縛られずに時間を無駄遣いするぜいたくを、思いっきり味わってみたかっただけだ。東京暮らしがまだ四か月だったわたしは、月島・佃島の町に、深いなつかしさを覚えたものだ。高知に、よう似ちゅうぜよ。 】
月島「月島商店街」
今も著者が暮らしている深川から始まって、江戸ゆかりの千駄木、湯島、神田、上野、浅草、神楽坂、日本橋から、小石川、駒込、隅田川、新木場、月島と来て、赤坂、銀座、品川、新橋、千駄ヶ谷、目黒、泉岳寺、四谷を経て、再び深川で終える二十一の展開。 青春の記憶を呼び戻し、周囲の人との当時の関係性を手繰り寄せて、その場所に立つと湧いてくる感情と連想が、我が事のように重なってくる。
世相とリンクする歌謡曲の心情などをテーマにした番組手法はよく目にするところだが、無名な風景と自分史の感情の結びつきの強さを改めて認識させられる一冊である。読み手にとっても、その場所だけが持っている固有の感情のプレミアム度は上がってゆくばかりではないだろうか。 二十一の場所での「記憶」を辿って順に見て行く事で、時代小説家 山本一力の物書きの原点が仄見えてくるのがうれしい。
これからは若葉の季節、東京でのんびり過ごす休日には、是非本書を頼りにぶらりと「江戸歩き」に出掛けていただきたく。