このような人物だからこそ、取材相手の懐に入り込む方法も非常にたくみで、検察内部に非常に信頼され、誰も知らない情報を立松だけが入手することに成功した。彼は<検事との信義を大切に守った。ニュース・ソースの秘匿にこまかい神経を配りつつ、得た情報を活字にする時機を誤らなかったし、内容についても、捜査に支障を来たさないよう、抑制すべきところは我慢した。それがあったからこそ、彼は検察部内で幅広い信頼をかち得ることが出来たのである。>
だからこそ、彼は逮捕されようが決して口を割らなかった。
が、事件は意外な方向に進む。立松のニュース・ソースによって示された内容が間違っていたために記事は誤りであることが判明し、読売新聞は大きな取り消し記事を載せることで事件は収拾することになるのだ。結局、立松も起訴はされなかった。
しかし、この事件によって立松自身が受けた影響は決して小さくはなかった。立松は閑職に飛ばされ、精神的にもどんどん追い詰められていく。その背景には、読売が立松だけを切り捨てて逃げようとしたことへの、立松のただならぬ絶望感があった。立松がニュース・ソースを割らずにジャーナリストとしての職業倫理を守り抜いたのに、立松は組織の論理によって裏切られたのだ。そして、最終的に彼は自ら最悪の道を選ぶことになってしまう。検察の権力に対する怒りよりも、むしろ自分を守ってくれるはずだった新聞社という組織への失望の方が大きかったのかもしれない。
本田が『不当逮捕』の中で、立松の人生を通じて訴えていることは、まず、検察の不当な権力の行使に対する糾弾がある。立松を逮捕した「検察の論理」が、検察官としての正義の信念に基づいたものではなく、内部の権力闘争に基づくものだとし、それが立松の人生を完全に狂わせたとすれば、ジャーナリストとして、そして友人としての本田の怒りや批判は当然のものである。が、それ以上に本田の心を占めていたのは、新聞社という組織への怒りだった。本田は、「あとがき」の中にこう書いている。
<私にとって、立松和博が誤報の汚名を着せられて社内的、社会的に葬られるのは、我慢のならないことであった。もとより、立松が入手した情報は正しい、という確信があってのことであり、社が検察およびその背後に控える政治権力との妥協の道を選んで、掛け替えのない彼を見殺しにするのであれば、側近くにいる私が本人になりかわって、事の真相を広く社会に訴えなければならない――と考えていた。>
権力を監視するなどと言っていても、結局は身内の記者すら十分に守ろうとせずに権力におもねる自らの組織へのやり場のない悔しさを抱えながら、本田はこの作品を書き上げたに違いない。
<戦い取ったわけでもない「言論の自由」を、いったい、だれが、何によって保障するというのだろう。それを、まるで固有の権利のように錯覚して、その血肉化を怠り、「第四権力」の特権に酔っている間に、「知る権利」は狭められて行ったのではなかったか――。
新聞が「正」と「義」の二文字を打ち出すことは瞬時に出来る。しかし、社会の正義は活字ケースの中にあるのではない。>
本田自身も、この立松の事件の10年以上あとであるが、読売を去ってフリーの道を歩むことになる。
ちなみに、こんな仮定が頭に浮かんだ。もし立松がいま同じ状況に陥ったとしたら、きっと彼は当時とは全く違った感情を抱いていたのではないかと。いまでは、たとえば佐藤優氏にしても、堀江貴文氏にしても、逮捕されてたとえ有罪が確定しようとも、検察の論理に絡めとられたような事件であれば(国策捜査と呼ぶまでにはいかずとも)、むしろ検察の不当性を訴える形でメディアに再登場するケースが増えている。新聞という大手メディア以外にネットや雑誌などといったさまざまなメディアが発達したことは、権威的なものを相対化させ、価値観を多様化させた。だからこそ、いまは「検察の公正」を文字通り受け取る人は少ないだろうし、メディアの「客観報道」を心から信じる人もほとんどいないだろう。立松が組織に切り捨てられたという事実が同じだったとしても、いまならば立松が新たな道を模索できた可能性はぐっと大きかったはずだ。
が、そうはいってもこの半世紀で何が改善されたというわけでもないようにも思う。検察の「正義」がある程度相対化されたといっても、検察の論理に大きな変化はないだろう。2002年に大阪高検の三井環公安部長が、検察庁の裏金について内部告発しようとテレビ・雑誌の取材を受ける予定だった日の朝に微罪で逮捕され、その後実刑判決を受けたのは、検察という組織がいまも持ち続ける権力の恐ろしさを十分すぎるほど世間に露呈したといえる。
同様に、マスコミの報道に大きく前進があったような気もしない。小沢一郎秘書逮捕の報道については先に述べたが、たとえば裁判員制度に関しても、国民がその必要性・重要性について理解・納得していない状況の中、マスコミが国民の側に立ってこの制度を問うているようには見えなかったし、実際に始まって以降はすでにあるものとして肯定するところから報道がなされている。世の中はめまぐるしく変化するものの、肝心なところはほとんど変わってないようにも見えるのだ。『不当逮捕』はそんなことを考えさせてくれる作品で、いつ読んでも色あせない普遍性がある。だからこそ、傑作なのだ。
また『不当逮捕』は文章もいい。<雨には不吉の臭いがする、などと、気のきいた風なことをいってみたところで、しょせん後からのこじつけでしかない。>この冒頭からすでに、独特のダンディズムが匂い立ち、本田靖春の世界にぐっと引き込まれた。
ちなみに本田靖春の著作では、1963年に東京の下町で起きた幼児誘拐殺害、吉展ちゃん事件を克明に描いた『誘拐』も傑作として名高い。これについては、たとえば重松清氏は「描写は容赦なく人間社会の暗部をえぐっていながら、本田靖春のまなざしは弱者に対して慈しみを持ってそそがれる」(『現代プレミア ノンフィクションと教養』より)と書いている。こちらもあわせて読みたい作品だ。
本田は2004年に亡くなったが、ジャーナリストとしての彼の透徹なスタンスと公平な視点、そして人を見る優しさは、いまも多くの尊敬を集めている。