これを読め、さあ手に取れと、騒々しくがなりたてて、書店の平台を毒々しく飾る際物本が、大手を振ってまかり通る。消費者も、紅茶キノコや水飲み鳥を買うように、迷わずそれをレジへ運ぶ。
そんななか、堀江敏幸の新刊を手に取ると、「つまりはこういうことなんだな」と、腑に落ち、心が静まっていくのを感じるのだ。ほっとするのだ。二百ページに届かぬ薄い本体に、床に置けば誤って踏みつぶしてしまいそうな、華奢な無彩色の函。そこに恩地孝四郎の「ライチー・一枝」の意匠が箔押ししてある。手に持つだけで、草原を風が吹き抜けていくような風情だ。装幀は間村俊一。
そんな軽やかなエッセイ集を手に取って、ああ、これは! と憶い出したのは井上究一郎。『幾夜寝覚』(新潮社)、『ガリマールの家』(筑摩書房)、『詩集 水の上の落葉』(小沢書店)と、出版社も装丁者も異なる井上の三冊の著作のたたずまいに『正弦曲線』は酷似している。若き日、三好達治に師事して詩を書き、戦地へ赴き、帰還後、プルースト全訳を果たしたこの仏文学者に私は会ったことがないが、勝手に半生記遅れの後輩の姿を重ねたくなってくるのだ。
しかし、堀江さん、エッセイ集のタイトルに『正弦曲線』とは、つけましたなあ。サイン、コサイン、タンジェントと聞くだけで、悟空の金剛輪のように頭をギリギリ締め付けられる数学嫌いにとって、これは避けたいタイトルです。いや、もし新人がエッセイのタイトルとして主張したら、編集者も営業も、仇討ちを止めるように諌めるだろう。
もちろんそこに、『おぱらばん』(新潮文庫)、『雪沼とその周辺』(新潮文庫)の作者には深慮があって、数学用語をエッセイ集の総タイトルとして使うのに、道筋としてちゃんと硬いレールを敷いている。エアチェックが流行した頃、FMチューナーに小さなオシロスコープがついたものがあり、電気店の店頭で、堀江は「気まぐれな波形」に心を惹かれる。
「私を魅了していたのは、その波形の頼りなさと、ふくれあがりそうでそうはならない、微妙な揺れぐあいだった。人生は山あり谷ありとつぶやく場合の高低差は、原則として不揃いである」
サインが生み出すカーブが「正弦曲線」。そこに堀江は人生を重ねる。つまり「正弦曲線」とは「優雅な袋小路なのだ」。以下に続く各文章は、日常において、この「優雅な袋小路」に迷い込んだときの感触を、よく鳴り響く楽器のように、精妙に確かに読者の心へ届かせる。
どの章を挙げてもいいが、たとえば「畑のうえの上昇気流」。なじみの畑を散歩していて、めっきり見ることがなくなった焚火を発見する。
焚火への好尚を「五感のざわめき」と表現し、ある日、焚火の脇で紙飛行機を飛ばしているおじいさんと孫らしき少年の姿に出くわす。そのシーンに見ほれた著者はこんなふうに報告するのだ。
「上空に、鳥の姿はなかった。空は制御不能に陥った飛行機だけのものになっていた。どのくらいのぼったのか、周囲のいかなる建物よりも高いところで紙きれは不意に上昇気流の柱の外にはじき出され、するとおじいさんの無骨な調整を経た紙の翼は息を吹き返して、ふたたび飛行機に変身したのである。あざやかに体勢を整え、時計まわりに旋回すると、紙の鳥は鎮守の森もほうへ音もなく空を滑っていった」
人間の内面の葛藤も、不公平な社会への異議申し立ても、息詰まるサスペンスもここにはない。忙しがっている我々が、つい見過ごしがちな日常の一断片を、注意深く観察し、そこで起こったことを、選び抜いた言葉と卓越した表現力で提示してみせる。引用部、「紙飛行機」を一度もそう呼ばず、「紙きれ」「紙の翼」「紙の鳥」と、巧みに変奏させていく技量を見よ。「紙飛行機」という認知された言葉で、読者が勝手にイメージを固定させてしまわないように、安易な叙情で謳いあげないように、注意深く、焚火の上昇気流に乗った「紙の翼」の行方を追う。堀江敏幸ならではの技量で、下手に真似すると、ただ気取っただけの安普請の建て売り住宅みたいな文章になってしまうだろう。
同じ方法を用いて、階段ですぐつまずいてしまう理由、薬を包むオブラードの効用、アウシュビッツからの帰還者たるプリモ・レーヴィ『周期律』の音楽性について、堀江はトランプの決め札を繰り出すように、話題を並べていく。
北村太郎、黒田三郎、清水哲男など、いまでは話題に上りにくい詩人たちの作品を取り上げてくれるのも、現代詩ファンとしてはとてもうれしい。清水の名詩集『スピーチ・バルーン』なんて、現代詩畑以外でこのように触れた人がほかにいることを知らない。そのタイトルが「センター・フライって、なんですか?」というのも意表をついている。その一つ前のタイトルが「あれです。あれではあるけれど、あれはごく一部分で、———。」というのもすごい。
知性がうまく高い言語能力と手を結んで、読者を知らず知らず、認識の高みまで吊り下げてくれる。読み終えると、その本体の薄さ、軽さがいかにもしっくりと、手に馴染んでくるような気がするのだ。.
堀江敏幸作品については、他作品の書評も収めていますので、どうぞお楽しみください。
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