玄侑宗久の最新作『テルちゃん』。そのテルちゃんというのはフィリピンから日本にお嫁にやってきたエテルという女性のニックネーム。二十八歳のときに、五十二歳の日本人と結婚するために、日本へやってきた。タイトルもそっくりだが、この設定、先頃『時が滲む朝』で第139回芥川賞を受賞した楊逸(ヤン・イー)の前作『ワンちゃん』と、とても似ている。フィリピン人、中国人という違いはあるものの、歳の離れた日本人男性との結婚、日本で病気の姑の面倒を見なくてはならない、といったところも同じ。初出のクレジットを見ると、三篇の連作が収められている『テルちゃん』の冒頭の一篇『ぶわん』は、2004年の文芸誌での発表であった。『ワンちゃん』は2007年の発表なので、実は『テルちゃん』のほうが、先行作品。いずれにしても、アジアから日本に結婚のためにやってきた女性の物語が成立するという昨今の時代状況というものを、改めて感じないわけにはいかないといったところである。
さてテルちゃんは、冒頭の『ぶわん』において、結婚して二年半後、早くも日本人の夫・安雄を急病により亡くしてしまっている。東北地方の南の町であるその家に残されたのは、テルちゃん、安雄との子供である安則(ノンちゃん)、そして介護が必要な義母の三人。いかにも心細い。だから、安雄の弟夫婦、健志と玲子が、隣県から月に一度車を飛ばして訪ねてくる。『テルちゃん』はこれらの人たちの心温まる物語だ。
そもそも、五十歳すぎの日本の男が、結婚の仲介業者を通じて現地に残す親たちにお金を払い、介護を必要とする姑が同居する家に二十歳代のフィリピン女性を連れてくるのだから、この話、人間の心の奥底のドロッとした部分も垣間見えるであろう、生きることのつらさを感じる物語であってもおかしくないはずだ。事実『ワンちゃん』はそういう話である。
ところが、だ。『テルちゃん』は、あくまでもほんわかと温かい。僕はこの『テルちゃん』は、作者・玄侑宗久がそうあってほしいと願う大人のファンタジーなのだろうと思う。そしてこのファンタジーは極上だ。
『ぶわん』は、おじさんが亡くなったのでフィリピンに里帰りしなくてはならなくなったテルちゃんが、果たしてまた日本に帰ってきてくれるだろうか、という話。
「おとさん(安雄のこと)、世界一やさしい人。あんなにやさしい人、わたし、しらない。…わたし、あかさんとノンちゃんと、ここにいます」と安雄の葬儀の際に言ったテルちゃんだが、三人の暮らしの大変さはわかっているだけに、健志と玲子は気が気でない。そして安雄がテルちゃんに日本語を覚えてもらうために毎晩のように「かぐや姫」を読み聞かせていたことを知った玲子は、どうしても考えてしまう。テルちゃんがやがて帰る月は、日本であってほしいが、もしかしてフィリピンなのではないだろうか。
玲子は中学校の国語教師をしている。職業柄ということもあるが、感情よりも、まずは理屈としてどうなのかを先に考えてしまう人間だ。それに対してテルちゃんは、いま、この瞬間の幸せをなによりも大切にする、素直な愛すべき人間だ。そして工務店に勤める健志は、心やさしい気遣いを忘れず、また行動力もある男らしい男である。玄侑宗久によるこの三人のキャラクターの設定、そこから導き出される行動の描き分けは、まさに舌を巻かざるを得ない見事さであり、それがこの『テルちゃん』の大きな魅力である。もちろん、経済史上主義の世知辛い日本にはもはや滅多に見られない温かな人間関係が、この三人の間にしっかりと築かれることになる。そして、義母も子供も心安らかな日々を送ることができるのだ。
また、随所に心を揺さぶられる描写が出てくる。僕がもっとも凄い表現だと思ったのは、テルちゃんが帰ってきたと健志から電話で知らされた際の玲子を描いたこのシーン。
「言葉が出てこなかった。
嬉しさは無論だが、恥じる気持ちも、感謝もあった。眼にも鼻にも唇にも力が籠もり、玲子はなんとか職員室でそれが噴きでるのを怺えた。」
「ぶわん」とは、タガログ語で「月」という意味だ。タガログ語に三日月、半月、満月といった単語はなく、「ぶわん」というひとつの言葉しかないのだそうだ。月はいつだって真ん丸なのである。テルちゃんの心も真ん丸だ。だから、玲子の疑いの気持ちなどは杞憂以外のなにものでもなかったのだ。
『テルちゃん』には全三篇収められていて、次の『ばろっと』では、テルちゃんのフィリピン時代の子供がやってきて家族が賑やかになった一方で、やがて義母の最期のときが訪れる。感受性豊かなテルちゃんの、義母との感情の交感の様子が深い余韻を残す一篇だ。ラストの『おぼん』では、テルちゃんと結婚したいという男、周平が登場。となると、どう判断したらいいのかと健志の役割が重くなる。複雑な心境の健志、やがてその感情が爆発する。
今後、テルちゃんと周平が結婚したとする。その場合も、健志、玲子との親戚付き合い、いや家族の関係は続くだろう。当然、続けてくれますよね、玄侑宗久さん。『テルちゃん』を読めば、僕だけではなく、誰もがこの先もテルちゃんとその家族の様子を見守りたいと思うに違いないのだ。
そうそう、この物語では、テルちゃんが字を習いに通ってもいるお寺の和尚さんが何度か登場し、心に残る話を披露してくれる。読者はもちろん宗久和尚を想像してしまうのだが、これはもう役得だなあと嬉しくなってしまうのだ。