添木田蓮と楓、十九歳と中学校三年生のこの兄妹に、実の親はいない。父親は蓮が小学校五年のときに女をつくって出奔。母親は七ヶ月半前に交通事故で死んだ。
溝田辰也と圭介の、中学校二年生と小学校五年生の兄弟。この二人にも実の親がいない。元々心臓に病気を抱えていた母親は、二年前に家族で行った千葉の海で泳いでいる間に死んだ。そして三ヶ月ほど前、父親が膵臓癌で死んだ。
この二組の兄弟にはもうひとつ共通点がある。蓮と楓には母親の再婚相手である睦男という継父が、同様に辰也と圭介には里江という継母がいる。睦男は妻が死んだ後、人が変わった。蓮と楓に暴力を振るい、会社も辞めてしまった。そして自室へ閉じこもるようになってしまった。加えて、楓に対して劣情を抱いているらしく、その痕跡が兄弟を悩ます。里江と、辰也と圭介もうまくいっていない。圭介は実の母親の死に責任を感じて自らを責め続け、辰也は里江への反発心を隠さず、万引きを繰り返す。
物語の始まりは、おおよそこんなふうなのだ。胃にズシッとくる。一組だけだって読んでいて十分に辛いのに、二組ですからね。どうやったら救われるのだろうと、そんなことを思いつつ……。
この二組の兄弟、物語の展開としては当然いつかはクロスするのだろうと予測されるが、早々にその機会はやってくる。龍神が暗い空で荒れ狂う九月の台風の日に、兄弟たちは物語の歯車をさらにおぞましい方向へと回してしまうのだ。あとはラストまで一気。頁を捲る手はもちろん止まらない。
『龍神の雨』という二組の兄弟の贖罪と再生を物語るために、道尾秀介はおぞましさ満点のミステリ構造を用意した。本書カバーの折り返しに、著者に関して「ミステリの技法を駆使して、人間の深層心理を巧みに描き出す手腕は、高く評価されている」と紹介されているが、本当にそのとおりだと思う。道尾秀介は、家族を失った人間たちの、ポッカリと空いた心のなかの暗い穴に、龍神を棲みつかせ、それを当人たちの視界の効かない、心のざわつきがピークに達した台風の日に、暴走させ悲劇を発生させた。道尾秀介のこれでもかの徹底ぶりは狂った鬼畜の最後の言葉にも遺憾なく発揮されている。そのシーンで目の前が真っ暗となる思いをさせられるのは、蓮だけではないだろう。
贖罪と再生の物語と書いたが、ラストにほの明るい日が射してくるであろうことを想起させるところも、また道尾秀介らしいと思う。辰也と圭介という幼さの残る兄弟を一方の主役に据えた理由はここにあったのだ。こういうところが、著者の周到さだなあと思う。
期待を裏切らない高水準の作品を連発しているということに関しては、誰もが認めるところだろう。でも、読者はすでに『カラスの親指』というこの作家のあまりに見事な作品を知っている。だから、あえて☆☆☆☆とさせていただく。小さなことかもしれないが死体の隠し所については疑問あり。前作においてインパクトがあっただけに、ここでおやっと思ったのは私だけではないだろう。
道尾秀介といえば、その伏線の張り方の見事さにいつもしてやられるのだけど、今回、またしてもほとんどやられた。終盤近くにはさすがに気がついたが、もう少し早くトラップに気がつきたかったと悔しさ半分で読み返してみたら、著者からのサインは十分、もしかして親切と言ってもいいくらいにあるということに愕然とさせられた。展開の見事さに頁を捲るのももどかしく一気で読んでしまうから、いつもこうなるのだ。次回は著者のペースに巻き込まれないようにしたいものです。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |