学校でのイジメは、昔も今も深刻な問題である。しかし小説のテーマとしては、既にありふれているとの印象が否めない。本書『絶望ノート』は、そのイジメ問題を取り上げたミステリである。
中学校に通う太刀川照音は、自分がクラスメイトに苛められていることを日記に書き付けていた。その中で彼は、いじめっ子を痛罵するのみならず、鈍感な教師、貧しい太刀川家、理不尽な世間などにも強い皮肉と憎悪を見せる。おまけに拾った石を「オイネプギプト」という神として崇め始めていたのだ。
息子の日記を偶然読んでしまった母の瑤子は、不安に駆られて夫の豊彦に相談しようとする。しかし豊彦は中年を過ぎてもジョン・レノンにかぶれて無職を続けており、極楽とんぼのような答えしか期待できそうにない。そこで瑤子は、クラスの担任を訪ねて探りを入れるが、教師はいじめの存在自体をにこやかに否定するばかり。思い余った瑤子は、貧しい家計をやりくりして、興信所にいじめの有無を調べるよう依頼する……。
歌野晶午は、最近とみに「イヤ話」を書く傾向が強まり、登場人物を酷い目に合わせる展開やオチを付けることが多くなってきた。
この『絶望ノート』もその流れに沿った作品で、イジメとそれを取り巻く状況を、いい意味で実に不快指数高く描いている。照音が陰湿なイジメを日記に克明に綴るパートと、母の瑤子ら大人たちのパートが概ね交互して進み、イヤらしい人間関係が鮮明に浮かび上がってくる。
さて先ほど、イジメが小説のテーマとして陳腐化したと述べたが、『絶望ノート』はこれを絶妙に回避している。イジメそのもの以外にも、格差社会、ヲタク、モンスターペアレンツ、教師・学校の事なかれ主義、希薄化する家族関係など、より現代的な問題(正確に言うと、昔からあったが最近になってクローズアップされてきたもの)を取り上げているからだ。歌野晶午は、イジメ以外にも様々な要素を俎上に上げることで、多角的に登場人物を取り巻く環境を俯瞰して、立体感のある小説を実現している。
これに、テンポが早く山あり谷ありの展開が織り込まれ、『絶望ノート』はリーダビリティの高い良質の娯楽小説に仕上がっている。ネタの見当が付きやすいのは残念だが、貫井徳郎『乱反射』や後述の京極夏彦『厭な小説』と並び、イヤ話としては今年最大の成果だろう。特に終盤の登場人物の突き放しっぷりは、本当に半端ではない。評価は☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |