さてラストは、フランスでもなければ文学でもない、野球の本である。
だいたいスポーツ系の単行本というのは、選手の顔やポートレート、グラウンドなど、写真の迫力を前面に押し出したものか、さもなくば妙にビジネス書っぽい、「ナントカ哲学」みたいなハッタリっぽいのが多いのだけれども、その中でこの本は秘かに異彩を放っていた。まず、装丁をされた方には申し訳ないが、モノクロの写真(表紙は若き日の青田昇だ)に全面、黄色を被せたカバーが妙に垢抜けない。「伝説のプロ野球選手に会いに行く」というストレートなタイトルも、洗練に背を向けているようでなんだか好ましい。これはイケるかも……。
で、読んでみてその面白さに感服。全部で10人の「伝説のプロ野球選手」にインタビューをしているわけだけれども、それぞれのインタビューは所用時間が1時間~1時間半とけっして長くないにもかかわらず、読んだ後の満腹感は相当なものだ。
いま、1時間~1時間半とけっして長くない、と書いたが、テープ起しを忠実にやってみれば誰にでも理解できることだが、実は60分~90分間に人がしゃべる量というのは、なかなかに膨大なボリュームになる。問題は、その中で本当に使える、面白い話がどれくらいあるかということで、その点から考えると、確かに十二分な時間とは言い難い、ということになる。
著者の高橋安幸氏は、毎回のインタビューで、与えられた1時間~1時間半という時間の中で、キッチリ勝負してみせる。特に、自分の考えや推測をインタビュイーから即座に否定されたり、話が思いがけない方向に転んだ際の、率直な動揺と、転んでもタダでは起きない、そこを書き切ってしまうライターとしての粘り強さのさじ加減がたまらない。
日本のプロ野球史上、初めてバックトス(註:併殺プレーの時に、体を反転させずに逆手で投げるトスのこと)を導入したと言われる阪神タイガースOB・鎌田実のインタビューから引いてみよう。
【「足も手も、親指が大事ということですね」
「そういうことやな。あと、技術的なことでなんかある? ほかになんかあれば。せっかく東京から来たんや。書けない面も、誌面に収まらんもんも取材して帰りぃ。余談になることでもいろいろな。ふっふ」
「僕らにとって余談はありませんので。すべてが野球のために必要なことだと思っています」
「そんなら、バックトスか?」
「ぜひ、お願いします」
「書きたい?」
「書きたいです」
「書く?」
「はい」
「書けるか? バックトス、書ける?」】
怖いような臨場感である。しかし、高橋安幸という人がすごいのはこの先である。ひと通り鎌田氏にバックトスの動作と説明をしてもらったあと、こんなふうに書く。
【鎌田さんは何度も繰り返し見せてくれた。スッと送り出される右手は、確かに[バックトスの開祖]のものに違いない。しかし、淡々と続く動きは、ゲームの中の一瞬のプレーではなく、練習そのものを想起させた。
僕は微かに落胆した。やはり、実際にボールがトスされないとわからないものがある。もしもここが芦屋のカフェテリアではなく、淡路島のグラウンドだったら……。そこでは中学生たちが、鎌田さんからバックトスを伝授されるシーンが見られたかもしれない。】
やるだけやらせておいて、「落胆した」と書く率直さ。しかしこの落胆は、むろん目の前の鎌田氏に向けられたものでないことは明らかである。それはグラウンドでそのバックトスを見られないことへの、そして実際の試合で見られないことへの、さらには自分が鎌田氏の現役のプレーに間に合わなかったことへの、野球を愛する人間の本質的な「落胆」だと思う。
最後に、これはほとんど言いがかりに近いという自覚を持って述べるのだが、著者は、「伝説のプロ野球選手」と相対した時の自分自身の存在を、いささか卑小に描きすぎている気がしないでもない。もちろん、その謙虚さは姿勢の良さでもあるのだが。
ほんとに言いがかりみたいだけれど、そんな理由で☆をひとつ落して、☆☆☆☆。しかしまぎれもない、超一流の仕事です。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |