これが今回一押しの作品である。本編の粗筋は次のとおり。
時は2083年、科学技術は更に進歩し、人工臓器なども一部が実現していた。そんな時代の先進的ベンチャー企業、ニューロロジカル社の設立者サマンサ・ウォーカーは、三十路を超えた現在も、ラボの中で科学者として活躍していた。現在彼女が力を注いでいるのは、脳内に擬似神経を形成し、経験や感情を直接伝達するシステム――ITP(Image Transfer Protocol)の技術確立である。
彼女たちのチームは、ITPテキストで作り上げた人工知能《wanna be》をコンピューター内に作り、「彼」に小説を書かせる実験をおこなっていた。ITPに創造性を付与するためである。そしてサマンサは自分の脳にもITPを移植するが、その際の検査で、不治の病――多臓器が機能不全を起こしており、人工臓器での代替も肉体が拒絶反応を起こすため困難――に侵されていることが判明する。余命半年を宣告されたサマンサは、残された時間で、《wanna be》を利用し、ITP最大の問題とされる“感覚の平板化”を解決する糸口を探るが。
この小説は、主人公サマンサが死ぬところから始まる。
プロローグで彼女は末期の発作により、七転八倒し血まみれになって死ぬ。サマンサは最期の瞬間まで生に執着しており、何故自分だけがこんな難病に苦しまねばならないのかというドス黒い怨念を抱いたまま、死ぬ。死の瞬間の内面描写をここまで克明にやった小説は、あまりないのではなかろうか。落ち着いた達観や諦念はここにはない。カッコよさや美しさも皆無である。彼女の死は、ただひたすら痛々しく、重く、生々しい。
このプロローグによって、サマンサが死ぬことを明示してから、物語は時を遡り、先述の本編が始まる。ここでもサマンサは、自分が奇病に罹患したことに苛立っている。体が日々ボロボロになっていくにもかかわらず、研究を続行するのも、半ば意地である。しかし現実は(そして会社も)非情だ。彼女はもはや戦力として見られていない。助手たちは一斉に引き上げ、(サマンサ自身が望んだ面もあるとはいえ)彼女一人が《wanna be》の相手をするのだ。人生の最後の6ヶ月間で、サマンサは自分が作った人工知能と相対し、《wanna be》の小説が次第にうまくなっていく様を観察する。やがて彼女と人工知能の間には、心の交流めいたものが生まれて、最終的に《wanna be》はサマンサのために物語を書くようになる。
この過程においても、サマンサはずっと死に直面し続けている。時々同僚や両親に当り散らし、仮想の上でも何とか生き延びられないかと自分の人格をコンピューターに読み取らせるなどして足掻く。とても往生際が悪いが、だからこそ、死への恐怖がとてつもなくリアルに伝わって来る。
本書は、SF面でも死に密接に関連している。本書でサマンサは、ITPを脳内で起動させると感情が鈍磨してしまう“感覚の平板化”を解決する。実はこのヒントが、死を意識することでもたらされるのだ(だからこそ、会社の主力研究チームが気付けなかったことに、サマンサが気付くことができたのである)。また、実験が終了するに当たり、サマンサのかけがえのない仲間《wannna be》は自己についてある決断を下すが、この決断もまた、死と密接にリンクしている。
ネタばらしになるので詳細は書けないが、「死」というテーマが、人工知能というSFガジェットと実に有機的に結合している。本書は意識にかかわるサイバーSFとして出色の出来栄えを誇る。しかも、SFとしての評価のみならず、サマンサという一人の女性がいかに死に直面し、理解し、敗れたかを描いた小説としても読めるのだ。
殺人抜きでは話が進まないミステリを除くと、娯楽小説の世界で人が死ぬのは、基本的にお涙頂戴のためである。……こう書くとさすがに言い過ぎの感はあるが、実際問題として、安易に人をコロコロ死なせて、それで「泣かせ」ようとする小説は、あまり気持ち良く読めない。特に、死の不用意な美化は、読者を白けさせてしまう。
この点、『あなたのための物語』は容赦がない。それは最後を読むだけでも明らかだ。
本篇の最後で、サマンサは自分の人格をコピーしたプログラムと対話する。そして一定の結論を得た後、《wanna be》がサマンサのために書いてくれた物語を、最後の入院の際には持って行こうと思いつつ、研究所を永遠に去る。その場面の最後の一文は、こうである。
「玄関ホールに出ると、シアトルの街に、この百年で多くなった雪が降りはじめていた」
ここで終わっていれば、とても綺麗な幕切れとなっていたはずである。ところが、その2ページ後にたった1行、『あなたのための物語』を締めくくるこんな文が置かれている。
「そして、サマンサ・ウォーカーは、動物のように尊厳なく死んだ」
この冷徹な一文が最後の最後にあることで、『あなたのための物語』は、雪に彩られたせっかくの美しい幕切れを、頑なに拒む。そしてサマンサの実際の死に様が「綺麗」などとはとても言えないものであることは、プロローグによって、読者は既に知っているのである。
この終結部とプロローグは、美と醜、夢と現実の対立と、結局後者が圧倒的な勝利を収めることをまざまざと見せつけてくれる。「サマンサの死は、本当にこんなので良かったのか?」などと考えても始まらない。誰にとっても、死とはこのようなものでしかあり得ないのである。
サマンサのように、私たちもいずれ尊厳なく死ぬ。絶対に死ぬ。間違いなく死ぬ。それは長谷敏司も同じである。死のことを真剣に考えると怖くて堪らなくなるのは、作者だって同じなのではないか。にもかかわらず物怖じせず、死そのものをここまでリアルに直視した作品を、私は他に知らない。
『あなたのための物語』は、読む者全てに強く、そして重い余韻を残す、素晴らしい小説であると思う。これをSFファンに独占させるのは勿体ない。多くの小説好きに読まれるべき傑作として、評価はもちろん☆☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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