『伊藤一刀斎』は、島原の乱で息子を、浪人暮らしの窮乏生活で妻を亡くした老武士が“誇り”とは何かを問い掛ける『侍の翼』(文藝春秋)で作家デビューした著者が、一刀流の開祖・伊藤一刀斎の生涯を描いた大河ロマンである。大島で流人の末裔として生まれた弥五郎(後の一刀斎)が、島を抜け出し、剣の修行を通して成長するところは剣豪小説と青春教養小説のハイブリッド。その意味で、吉川英治『宮本武蔵』(吉川英治歴史時代文庫)の遺伝子を正統に受け継いだ作品といえるだろう。
剣道八段、三〇年以上もフランスで剣道の指導にあたってきた著者が、剣の型や剣豪の動きを鮮やかに再現した剣戟シーンは圧倒的。多くの剣客と戦い、時に教えを請うことで一刀斎は自分の剣を確立していくが、一刀斎が編み出した剣の理論だけでなく、様々な流派の剣理も紹介されているので、本書を読むだけで剣術の歴史が概観できるほどである。
リアリティが重視されているので、長大な鉄棒を振るう唐人の十官を、一刀斎が鉄扇一本であしらったとされる有名な対決も、アクロバティックな要素とは無縁の静かな立ち合いに変更されている。連続攻撃を仕掛ける十官の動きをかわしながら逆転のチャンスを狙う一刀斎の心理と動きを、ストップモーションのように緻密に描いてみせたところは、派手な演出こそないものの、思わず引き込まれてしまうほどの迫力がある。
一刀斎の高弟・小野善鬼と神子神典膳の対決がクライマックスなのは予想通りだったが、二人が戦った理由や二人の対決後、一刀斎が歴史の表舞台から姿を消した理由には独自の解釈が施されていて驚かされた。一刀斎は若き日の佐々木小次郎と邂逅したり、宮本武蔵の父と立ち合ったりもするが、このあたりは一刀斎の経歴はほとんど分かっていないことを逆手に取った遊び心なので、剣豪小説が好きなら楽しみも大きいはずだ。
一刀斎は、仕官先を探すという目先の利益ではなく、日本一の剣客になるために剣の修行を続ける。ただ残念なのは、一刀斎が修行を通して到達しようとした“理想”とは何か、それが十分に表現されていないことである。例えば金や名誉に背を向け、ひたすら剣技を高めようとする一刀斎の姿は、投機による一獲千金の夢が忘れられず、地道に働くことの大切さを忘れつつある現代日本への批判になるであろうし、頂点を極めた一刀斎が、美しく身を引く方法を模索し始める後半は、人口が減少し急速な経済の回復など期待できない厳しい現実を前にして、日本人に今後どのような道を選択すべきかを示す指針になりえた。それなのに本書は、一つのテーマを掘り下げるのではなく、一刀斎が経験した数多くの教訓を同じような比重で描いているため、結局、何がポイントなのかが最後まで絞り切れなかったのだ。
テーマが曖昧なのが悪いのではなく、吉川『宮本武蔵』を持ち出すまでもなく、長大な物語を苦痛なく読ませるためには、主人公を突き動かす単純かつ強力な動機が必要なのだが、本書はそれが希薄なので、時代小説や剣豪小説の初心者に上下巻九〇〇ページの大長篇を読ませるほどのドライブ感がない。剣豪小説が好きだったり、一刀斎の事跡を知っていれば著者の緻密な考証やオリジナリティあふれる剣戟場面のすごさも分かるのだが、一見さんには敷居が高いこともあり☆☆☆。
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