一九三九年、大阪毎日新聞と東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、朝日新聞社の飛行機・神風号が東京—ロンドンの連絡飛行で国際記録を樹立したことに対抗するため、世界一周親善飛行という大キャンペーンを打つ。公募でニッポン号と名付けられた飛行機は、八月二六日に羽田空港を出発、東まわりで世界を一周し、一〇月二〇日に帰国して大歓迎を受けた。『翼をください』は、このニッポン号の世界一周飛行を虚実を織り交ぜながら描いている。
だが本書を航空冒険小説と考えていると、期待を裏切られることになるだろう。多少なりとも冒険小説的なのは、北海道を離陸したニッポン号がアラスカへ向かう途中で荒天に見舞われるところや、ベンガル湾付近でイギリス空軍機らしいカーチスP-40に襲撃されるところの二箇所くらい。しかも作品の構成が、さらにサスペンスを減じているのだ。
物語は、暁星新聞(モデルは毎日新聞)の創立一三五周年記念記事を作成するチームに抜擢された青山翔子が、ニッポン号の写真にアメリカ人女性が写っていることに疑問を持ち、調査を始めるところから始まる。ところが、そこからすぐに過去の話となり、アメリカ人の女性飛行士エイミー・イーグルウィングの活躍と、エイミーが世界一周飛行の途中で行方不明になったエピソードが紹介される。そのため、ニッポン号に乗り組んでいる謎の女性の正体がエイミーであることが簡単に予測できるからだ。
ニッポン号離陸の場面から物語を始め、飛行機に乗っている正体不明の人物がエイミーであることを明らかにした後に、エイミーの前半生を紹介した方が、よりスリリングになったように思えるのだ。
純国産機ニッポン号を、日本人クルーだけで飛ばすことが世界一周飛行の目的なので、エイミーの存在は秘中の秘。そのため海外の空港に着陸するたびに、エイミーをどのように隠すかが問題となるのだが、そんなことでサスペンスを盛り上げるくらいなら、もっと飛行シーンに力を入れろよ、と思わずツッこみたくなってしまった。
エイミーのモデルは、実際に世界一周飛行の途中、太平洋上で行方不明になったアメリア・イアハート。イアハートの飛行機は日本軍に撃墜されたとの噂もあったので、日本海軍が密かにエイミーを救助し、経験豊富なエイミーをアドバイザーとしてニッポン号に乗せたとのフィクションは説得力があった。それだけに、演出ミスはかなり痛い。
では、人間ドラマあるいは歴史小説としての面白さがあるかといえば、これも微妙。
エイミーは世界に国境などないことを証明するため、女性を勇気づけるために空を飛んでいたが、日米の緊張が高まるなか、自分が軍に利用されていることを知り、たとえ飛べなくなる危険があっても理想を貫く道を選ぶ。同じように、ニッポン号の乗員も全員がリベラリスト。
世界中がキナ臭くなっていた一九三〇年代後半にデモンストレーション飛行をすれば、乗員の政治信条にかかわりなく、その行為自体が日本の国威発揚(それが間接的に軍への協力になることは、改めて指摘するまでもないだろう)に利用されることは容易に想像できるのに、登場人物は理想と現実の板挟みで苦悩するようなこともない。
平和のための飛行を象徴するのが、ニッポン号の来歴。著者は、丹念な資料調査で、ニッポン号が偵察機を民生用に改造した機体だったことを明らかにする。ニッポン号は九六式陸上攻撃機の改造機と思われていたので、その前身が偵察機だったとの指摘が興味深かったことは認める。一九三〇年代は、ナチスのゲルニカ爆撃や日本軍の重慶爆撃など、いわゆる無差別の戦略爆撃が実行できるほど飛行機の性能がアップした時代。著者はニッポン号を爆撃機ではなく偵察機だったすることで、ニッポン号の世界一周飛行が非軍事的な目的であったことを強調したかったのだろうし、それは作品のテーマとも合致している。
だが爆撃機は無辜の市民を虐殺するから悪、ニッポン号はそれとは無縁で平和の使者だったとの主張は、素直に首肯できなかった。偵察機が的確に情報を司令部に伝えれば、より効率的な殺戮が行える。偵察機だから爆撃機より平和的というのは、自衛隊の海外派遣の時、前線で敵は殺さない、後方支援だけだから戦争に参加しているのではない、との主張にも通底する欺瞞にしか思えないのだ。
本書は、とにかく明るく前向きだ。
ニッポン号のクルーが、アメリカ人に向かって「『三菱金星四型』、純国産のエンジンです。(中略)機体からネジ一本にいたるまで、すべて日本製です」と誇らしげに語る場面は、かつて人気を博したドキュメンタリー『プロジェクトX』ではないが、日本の高い技術を誇りに思え、こうした物づくりの伝統があれば、今の不況も乗り切れるのではと思えてしまう(実際は、金星エンジンは、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー社からライセンス権を買って作製した明星エンジンを改良したものなので、「純国産」といえるかは微妙なのだが)。
また戦争に向かう時代に、新聞社が文化事業として世界一周飛行を企画したという事実も、戦後民主主義社会の中で生きる平和を愛する人々に新たな感動を与えてくれるだろうし、女性パイロットがニッポン号の男性飛行士を支えたとの虚構部分は、女性読者を勇気づけることになるはずだ。
百年に一度とも称される不況で閉塞状況に陥っている読者を、本書のような素直な物語が勇気づけることは間違いない。ただ歴史にしても、人間にしても、明るい部分よりも“闇”の方に“真実”があると自分は考えているので、著者がポジティブな物語を作るためにあえて隠したものの、隠し切れなかった部分ばかりに目がいってしまい最後まで作品全体の“健全さ”を一緒に楽しむことができなかった。それと緻密な嘘話が好きな人間からすれば、本書の虚実を操る手並みは今一つなので、それらを総合的に判断して☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
---|---|
おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |