11月新刊は新人作家が元気だった。講談社BOXからデビューした円居挽(まどいばん)もその一人で、プロフィールによると京都大学推理小説研究会出身だそうで、デビュー作の舞台を京都の丸太町に設定してきた辺り、実にそれらしい。そして内容も、本格ミステリへこだわり抜いた、この団体出身者らしいものとなっている。
高校生だった城坂論語は、病気療養中に祖父の屋敷の一室で、いきなり現れた正体不明の女性“ルージュ”とディベートして一夜を過ごした。彼は“ルージュ”の怜悧さに触れて、彼女に惹かれてしまう。しかし同じ刻限、祖父は屋敷の自室で殺されてしまった。一緒にいた“ルージュ”が姿を消し、アリバイを証明できなくなった論語は、祖父殺しの容疑をかけられる。しかし一族は名誉のために事件そのものを通報せず、論語も進路を制約されただけで、罪については不問に付された。
それから三年。論語は自ら望んでこの事件を蒸し返し、京都に伝わる私的裁判“双龍会”の被告になる。城坂家の当主が亡くなった一夜の謎は、“双龍会”の場で解き明かされようとしていた……。
本書には、最近の「京都を舞台にした娯楽小説」によくある、ケレンある世界設定が付与されている。それが“双龍会”である。
これは密かに何百年(千年以上?)も続いてきた、京都の上流階級に伝わる秘儀だと設定されている。“火帝”(判事役)“青龍師”(弁護側)と“黄龍師”(告発側)を担う人物が、実際の警察や検察の介在なしに、被告人に関する擬似法廷を開くのだ。被告を攻撃するため、あるいは弁護するためなら、故意に嘘を付き、詭弁をもって煙幕を張る策すら認められているのである。そして青龍と黄龍の間で交わされたディベートに基づいて、“火帝”が裁きを下し、告発された者はそれに従わなければならない。
むろん“双龍会”など現実には存在しない(はず)。超常現象や異種族とまでは行かないが、現実に実在しない物事・設定が顔を出すという作風は、清涼院流水・西尾維新・森見登美彦・万城目学らによって切り開かれてきた。円居挽は、京大推理研の血を引くと同時に、彼ら京都青春エンタ(今思いついたカテゴリ名だが)の系譜にも連なっているのである。
“双龍会”の設定から想像が付くだろうが、本書はミステリとしては、推理合戦によりロジックを詰めて相手方の主張を突き崩し、真相に肉薄する手法を採用している。エラリイ・クイーンに代表されるような純粋なパズラーは、探偵役が一人で事件を観察し沈思黙考した後、最後に結論をポンと出せばそれで良かった。しかし『丸太町ルヴォワール』ではそうは行かない。打ち負かすべきは「犯人」だけではない。その前に、ディベートの相手(しかもかなり手強い)の論陣を突き崩さなければならないのである。
物語は、“青龍師”と“黄龍師”が互いに推理を果てしなく提示しては潰し合うことを繰り返す。当然、その度に事件の様相はくるくると猫の目のように変転する。所謂「どんでん返し」が最初から最後まで連発するのである。特に長いわけでもない小説でこれをやるのだから、展開はかなり気忙しい。しかし素晴らしいのは、これらがあくまで綿密な伏線に基づくものである点だ。どの推理も――捨て推理すら――十分な根拠を備えているし、“青龍師”も“黄龍師”もディベートの仕方が上手く、狐と狸の化かし合いといった風情もあって、アクションも大掛かりな捜査も特にないのに、物語は素晴らしくスリリングに進む。
おまけに、“双龍会”の被告・論語の真の目的は、濡れ衣を晴らすことではなく、事件当夜に出会った“ルージュ”と再会することなのだ。「論語の祖父を殺したのは誰か」と「“ルージュ”は誰か」という謎が交錯し、推理は実にいい具合に混乱する。そしてしつこいようだが、最初から最後まで理詰めで作られているのだ。ここまでされて、本格ミステリ好き――中でも推理合戦好き――なら満腹しないはずがない。
講談社BOXや講談社ノベルス(の特にここ数年でデビューした作家)、ライトノベルでは、水準を超える本格ミステリであっても何故かあまり注目されない傾向がある。しかし『丸太町ルヴォワール』が見せた推理合戦と伏線回収、どんでん返しの冴えは間違いなく本物であり、版型がどうあれ高く評価されるべきである。文章やキャラクターにもう一練り欲しい気もする(特に、キャラクターがいまひとつ際立っていない)ので、総合評価は☆☆☆にとどめるが、作者が逸材であることは間違いない。本格ミステリ・フリークは必読です。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |