唐代を舞台に、美少女仙人とニートの青年が大冒険を繰り広げる〈僕僕先生〉シリーズ(新潮社)で、中華ファンタジーの世界に新風を送り込んだ仁木英之。その最新作は、万物の陰陽を結びつける秘宝・五嶽真形図をめぐる争奪戦を、壮大なスケールで描いている。
漢の七代皇帝・武帝は、天地を創造した西王母から五嶽真形図を託されるが、降伏した敵を虐殺し、民を宮殿の建築に酷使する暴君へと変じたため、いつしか図は失われてしまった。それから千年、唐代に入って再び図が動き始める。
戦場の死体に人頭体馬や馬頭体人といった異形のモノがまじっていることに気付いた高承簡将軍は、大軍に囲まれたところを助けてくれた翼を持つ娘・紅葉を妻に迎える。二人の間に生まれた千里は、武術好きでいたずら好きな少年へと成長するが、一八歳になっても、体は幼児のまま。ある日、愛する母親が妖魔に誘拐され、探索に出た父親も行方不明になってしまう。二人を助ける旅に出た千里は、やがて五嶽真形図の争奪戦に巻き込まれていくのである。
物語の前半は、五嶽真形図がどのような存在なのかが抽象的なことに加え、主人公の千里だけでなく、妖魔を見る特殊能力を持ち弓矢の達人でもある吐蕃人バソン、少林寺で修行した僧侶ながら、内側の「気」をうまくコントロールできないため武術の腕はいまひとつの絶海のエピソードが平行して進むので、今、何が起きているのかが掴みにくい。
ただ“旅の仲間”が揃い、本格的に五嶽真形図をめぐる戦いが始まってからのスピード感は圧倒的。日本が舞台なら戦いの道具は剣が中心になるが、そこは『水滸伝』の英雄に色とりどりの武器を持たせた中国白話(はくわ=口語)小説の伝統を受け継いだ本書のこと、登場人物が手にする獲物ひとつ取ってもバリエーション豊か。異種格闘技を見るような派手な戦いが連続するので、最後まで緊張の糸が途切れることはない。
五嶽真形図は宝玉の形をしているので、千里たちと妖魔が図をめぐって戦う構図や、シリアスなのにとぼけたユーモアを忘れないところは鳥山明の名作『ドラゴンボール』そのもの。この作品でデビューしたイラストレーターのちぇこが描くかわいいイラストも作品世界にいざなう手助けをしてくれるので、筋金入りの活字ファンだけでなく、マンガやゲームは好き、でも小説は苦手という方にも手に取って欲しい。
物語が進むにつれて、妖魔は単なる悪役ではなく、西王母が天地を創造した時、人間と地上の覇権を争った別の種族であることが分かってくる。千里は自分たちの正義を信じて妖魔と戦うが、妖魔にも彼らの正義があり、図をめぐる戦いは決して勧善懲悪の構図にはなっていないのだ。唐の将軍というエリートの家に生まれた千里は、異民族のバソンを蛮族と蔑み、絶海も家臣程度にしか考えていなかった。だが旅を続けるうちに、異文化を受け入れる柔軟さを学び、妖魔と人間の血を引く自分は、二つの種族の無益な争いに終止符を打つ調停者になれるのでは、と考えるまでに成長する。
今も世界中で、民族や宗教の違いで他者を差別、排除することが日常的に行われており、それが戦争に発展することも珍しくない。また、ひとたび戦争が起こってしまうと、正義と正義が対立したという事実が忘れられ、自分のイデオロギーに近い勢力を“善”と錯覚し、紛争解決の道が遅れることもある。傲岸不遜だった千里が、異文化を理解し、異人種の苦しみに共感できるようになるプロセスは、なぜ戦争がなくならないのかを、改めて教えてくれるはずだ。
真直ぐなテーマを愚直に描いているだけに、ジュブナイルとして見ると第一級の出来栄えだが、すれっからしの大人には、直球すぎて青臭い議論の焼き直しのように思われてしまう危険もある。前半のもたつきも含め☆ひとつを減じて、☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |