最後は、ビジュアル中心の本を紹介しよう。河出書房新社では、これまで竹久夢二関連の本を数冊、刊行しており、また「らんぷの本」という、図版中心のシリーズがあるが、その流れの中にある最新刊が、『大正ロマン手帖 ノスタルジック&モダンの世界』である。
先日の三連休中日に、同書の刊行と同時に行われている「竹久夢二と大正ロマンの世界展」(竹久夢二美術館)に行ってきた。東京は文京区弥生に位置するこの美術館は、江戸時代に「暗闇坂」と名付けられた一帯に位置し(ちなみに東京には、「暗闇坂」という名前の坂は複数ある。麻布がいちばん有名かもしれない)、そもそも文京区というエリア全域がそんな感じなのだが、坂が多く、近くには東大キャンパスや、いわゆる「谷根千」地域(谷中、根津、千駄木)もあって、なかなか散策に適した「レトロ」なところである。
今回の展示企画では、夢二の遺した絵、絵葉書、広告図案、楽譜などを中心に、夢二と同時代に活躍した、いわゆる「抒情画家」と呼ばれる加藤まさを、蕗谷虹児、須藤しげるなどのほか、今日ではさほど名前の知られていない作家の作品も紹介され、この時代に創刊された数々の婦人雑誌や吉屋信子(大正ロマン最大のスター作家)の書籍、さらには当時の暮らしを偲ばせる着物や蓄音機などの実物も展示されている。
そして、同企画展の内容をコンパクトに編集してまとめ、それぞれの写真や図案にキャプションを施し、当時の時代背景や文化状況について解説を加えたのが、『大正ロマン手帖 ノスタルジック&モダンの世界』ということになる。
あらためて言うまでもなく、大正という時代は1912年~1926年のたった15年しかなく、その短さゆえか、なんとなく、儚いイメージがある。前の時代の明治は、これは文字どおり「維新」という革命が起きた疾風怒濤の時代であり、時間もたっぷり45年間あった。後の時代の昭和にいたっては、さらに長く64年間もあって、それがまた戦前と戦後で生活様式もガラッと違うから、19世紀後半から20世紀後半にいたるそれらの時代の変化の中に大正の15年をポンと置いてみると、いかにも「儚い」感じがするのも、致し方ないかもしれない。
非常に大雑把に言ってしまえば、明治時代は国家をあげて西洋列強に追いつき、追い越そうと志した「国家」と「男」の時代であり、対して大正時代は、対照的に「個人」と「女」の時代と言えるだろう。とはいえむろん、今日とは比較にならないほど女性の社会的な権利や地位は相対的に低く、しかしそうした中での「新しい女」(当時の流行語)の萌芽は、そこここに見られたのである。
【現在では一般的に使用され、ノスタルジックで甘美な響きをもつ「大正ロマン」という語は、意外にも古くからあった言葉ではない。
実は大正時代には存在しておらず、調査を進めたところ、一九七〇年代後半に出現し、これ以降使用されるようになった言葉であることが判明した。】
本書の中で冷静にこう書かれているように、「大正ロマン」とは、大正時代の終焉からおよそ半世紀の時を経て、1970年代後半という時代が要請した、歴史的な「見立て」なのである。また、特に大きいのが竹久夢二の存在で、おそらく竹久夢二という、たった一人の芸術家がこの世にいなければ、もしかしたら「大正ロマン」という言葉そのものも生まれなかったかもしれないし、この時代の芸術や生活の新様式を語る今日の視線も、おそらくまったく別のものになった可能性がある。
このことは、なにも夢二が、同時代の他の画家に比べて、ぬきんでて傑出した芸術家であったということではなく(そういう評価があっても、特別異論はない。夢二の描く女性は確かに魅力的だが、筆者には、“大阪の夢二”と呼ばれた宇崎純一(すみかず)のほうが、より好ましく思える。特に「顔」。夢二の描く「顔」は、そこにありながら、霞の向こうにいるような朦朧とした感じなのに対し、純一の「顔」は、淡いながらもハッキリとこちら側にあって、なんだかそのほうが潔い感じがしてしまうのだ)、大正という時代と無意識にリンクする、そうした磁力がひときわ強かったのだと思う。
そう。つまり竹久夢二は、抜群に「キャッチー」だったのである。
『大正ロマン手帖 ノスタルジック&モダンの世界』は、「抒情画」「おしゃれ」「女性」「芸能」「文化生活」の5章から成り、さらに個々の作家や、着物、和装小物、化粧品といったアイテムへ、宝塚少女歌劇団、浅草オペラ、活動写真、蓄音機、楽譜といった、芸術の大衆化を促す様々なメディアの検証へと細分化してゆく。
竹久夢二の広範な活動の中には、日本画や水彩画、イラストレーションなど本来の画業のほかに、絵葉書や楽譜、千疋屋の広告などに代表される「デザイン」の仕事があった。このことは、本来、大衆とは違う階層=高みにあった芸術や美的な表現が、日常生活の中に流入する商品や娯楽、ファッションなど、生活の様々な局面と接触を持ち始めたことを意味するだろう。
明治という、「坂の上の雲」(©司馬遼太郎)をめざしてひた走った時代の後で、社会はいったん、国家ぐるみの疾走を止め、人々はバラバラの「個人」になった。その中で大正期の男たちは、やたらポジティブだった明治男の反動で、デカダンな空気の中に沈潜していったかもしれない(夢二の私生活はまさにそうだし、詩人・金子光晴の三部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』などに描かれている大正~昭和初期の生活はまさにそんな空気を漂わせている)。そのいっぽうで、女性たちには、もしかしたら日本の歴史上ではじめて(あるいは平安朝以来?)、その頭上にサッと光が射して来たのが、この大正という時代だったのではないか。
図案の点数、見やすさ、簡潔で的確な解説など、どれも良いけれど、美術館での展示内容と本のあいだに、いま少しの相違や、本というメディアならではのプラスアルファの要素がほしかった、というぜいたくな希望もあって、☆☆☆★。
竹久夢二美術館における「竹久夢二と大正ロマンの世界展」(http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/)は2010年3月28日まで。実物が見られる、ということの価値はやはり大きいです。それから文中で、宇崎純一に触れましたが、純一については、神戸の出版社・みずのわ出版から刊行されている文芸誌「spin」の06号「宇崎純一の優しき世界」が豊富な図版を含めて出色の出来。こちらもあわせて、オススメします。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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