バンドのボーカルとして活躍した二年間の記憶を消して、平凡なサラリーマンとして生きる男が奇妙な出来事に巻き込まれていく『レテの支流』(角川ホラー文庫)で第十一回日本ホラー小説大賞長編賞佳作に選ばれデビュー、兄の死の真相を知るため東京にある三年坂を調べる少年と東京を焼き尽くすことのできる発火点を探す英語教師の物語がリンクしていく時代ミステリー『三年坂 火の夢』(講談社)で第五二回江戸川乱歩賞を受賞した早瀬乱は、ホラー、ミステリー、伝奇小説の境界線ギリギリを狙った先鋭的な作品を発表してきた。最新作『絵伝の果て』も、応仁の乱の前夜を舞台に、伝奇小説とミステリーを融合させた独特の世界を作っている。
既に室町将軍家の権威は衰え、下克上の気運も盛り上がっていた時代。下級公家の十川(そがわ)家も、領民が力を付けたため年貢米徴収にも手を焼くようになっていた。祖父から仕込まれた蹴鞠だけが取り柄の長男・十川迪輔(みちすけ)は、父から、寺で経営を学んだ弟に家督を譲ると告げられる。祖父は意図的に切り取られた絵巻物の一部を迪輔に見せ、跡目が継ぎたければ、残りの絵巻物を集め、燃える塔と鬼らしき姿が描かれた絵巻物の意味を解き明かせと命令する。迪輔は、祖父が連れてきた美濃の地侍・坂城高直(たかき・なおたか)とナガレと名乗る謎の男と共に、絵巻物を探して緊張が高まる京の町を探索することになる。
前半は、絵巻物を探す“足”の捜査が中心。これが現代ミステリーなら冗長になる危険もあるが、迪輔たちが訪ね歩くのは、敷地の一角に貧民窟が出来上がっている寺社や諸国から芸人が集まった無法地帯など、京のアンダーグラウンドばかりなので、スリリングな展開が連続する。
絵が一枚また一枚と集まる中盤以降になると、なぜ寺社は塔を建てるのかを宗教史、文化史から分析したり、鬼と呼ばれたモノたちの系譜を民俗学や歴史学を援用しながら推理していくので、図像学的な謎解きへとシフトしていく。迪輔が調査を進める間にも、細川勝元と山名宗全の緊張は高まり、また迪輔は蹴鞠勝負を挑まれたりもするのだが、こうした絵巻物探索とは無関係に思えるエピソードが、次第に本筋にも密接に関わっていることが分かってくるので、その緻密な構成には驚かされるだろう。
南北朝時代や戦国時代を舞台にした歴史小説は多いが、その間に挟まれた室町時代を題材にした作品は圧倒的に少ない。最近は、岩井三四二がその空白を埋めるかのように奮闘しているが、室町がいまだ歴史小説のエアポケットになっていることは否定できない。それだけに歴史小説のプロパーさえ手を焼く室町に挑んだことをまず評価したいが、著者は、応仁の乱を契機に、血統が重視された時代が終わり、力の強い者が富を独占する時代が始まったとすることで、現代まで続く競争社会の原点に迫り、室町時代を選んだこと必然性を与えているのだ。
十川家自体が没落寸前で、先代から経営陣に加われないと宣言された迪輔は、まさに“負け組”の象徴。思わず共感してしまいそうな迪輔が、武力で権力を勝ち取ろうとする細川家と山名家が一触即発の京を行く展開は、格差が広がる現代と二重写しになっているのである。隠された真相をあぶり出すミステリーと、正史の裏側を活写する伝奇小説の手法を使って、歴史と社会の“闇”に迫った主題も鮮やかで、☆☆☆☆★。
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