新井素子の七年ぶりとなる小説『もいちどあなたにあいたいな』は、『おしまいの日』や『ハッピー・バースデイ』(角川文庫)を思わせる“日常の恐怖”を題材にしているが、サイコサスペンスなのか、ホラーなのか、SFなのかが最後まで判然とせず、その曖昧さが不気味な雰囲気を盛り上げ、先を読みたいと思わせる原動力になっている。
「あたし」の大好きな叔母さん和(やまと。通称「やまとばちゃん」)が、長い不妊治療を受けた末に授かった娘・真帆を生後四ヶ月で亡くしてしまう。「やまとばちゃん」の夫・恭一は、周囲が自殺するのではと心配するほど落ち込んでいるものの、「あたし」は「やまとばちゃん」がそれほど悲しんでいるように見えない。どうも「あたし」の父で、「やまとばちゃん」の兄でもある大介も同じように感じているらしい。
なぜ「やまとばちゃん」は、愛娘を亡くしたのに平然としているのか?
物語は、「あたし」、大介、「あたし」の母の陽湖(ようこ)が順番に語り手となり、それぞれが「やまとばちゃん」への想いを述べることで進んでいく。
久々に新井素子の小説を読んだが、一人称の語りの鮮やかさは健在。新井素子の文体が、若い世代の作家に圧倒的な影響を及ぼしていることが、改めて実感できた。
今回は女子大生の「あたし」だけでなく、父や母の語りも含まれているので少し不安もあったが、今の女子大生の両親ならば、ほとんどが戦後生まれ。特に“通過儀礼”を経ることなく年齢だけを重ねた世代なので、どこか幼さを残す語り口や発想の未熟さも、ごく自然に受け入れることができた(考えてみれば、著者自身が本書の両親の世代になっているので、当り前ではあるが)。しかし、「あたし」の両親の世代が本書を読むと、自分たちが子供の世代とさほど変わらないことに、衝撃を受けるかもしれない。
「あたし」は、「やまとばちゃん」が真帆が死んでも悲しまないのは、ジャック・フィニィの『盗まれた街』(ハヤカワ文庫)のように侵略者と入れ替わったからではないかと思い、超常現象に詳しそうなオタク青年の木塚君に相談する。一方、大介は、幼い頃から何度もつらい事件に遭遇してきた「やまとばちゃん」が多重人格になったと考える。それとは別に、長く夫とともに外で働いてきた陽湖は、娘が“育ての母”の「やまとばちゃん」になついていることに苛立ち、「やまとばちゃん」や娘だけでなく、女性が働くことに理解のない夫や舅姑への呪詛を募らせてきたことも分かってくる。
真帆の死と「やまとばちゃん」の変化は、一見すると平穏そのものだった家族に暗い部分があったことを暴いていく。だが隠されていた真相が浮き彫りになること以上に、家族といっても、ほかのメンバーを理解していないし、悩みにも気付いていないことを突き付けられたことに、より恐怖を感じた。「あたし」にしても、大介にしても、陽湖にしても、それぞれが心に闇を抱えているが、決して極端ではないので、思わず我が身を重ねてしまうキャラクターが見つかるように思える。
本書は、「やまとばちゃん」が娘を亡くしても悲しまない理由を様々に推理することで、逆説的に女性は小さき者の死に涙しなければならないのかを問い、“母性”信仰に一石を投じている。本書が恐ろしいのは、「やまとばちゃん」が別のモノに入れ替わった可能性があるからではなく、実は家族は温かく安らげる場所であるとか、女性は子供を慈しむものであるとかいった“常識”や“神話”を破壊しているからなのだ。誰もが知っていながら、見て見ぬふりをしてきた題材に正面から取り組んだことは評価しつつも、探偵役の木塚君があまりに万能すぎることが興を削いだこともあって半分だけマイナス、☆☆☆☆★。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |