このユーモアやリズム、つまりは彼女の持っていた音楽は、政治や闘争に対する傍観者的な立場から、「主体的に」(イヤな言葉!)運動の中に入って行き、それこそ機動隊から小突かれたり殴られたり(逮捕ではないが連行までされている)するようになって、急速に失われていきます。もともと彼女の日記に散見されていた自殺に対する思考の接近がまたまた始まり、恋愛はといえば、「恋に恋する」頭デッカチの観念部分と、半ば暴力的に奪われる肉体関係(しかしその行為も、最終段階まで至っていない可能性もある)とに、見事にセパレートされてしまうのです。
1968年を、1969年を生きながら、『二十歳の原点』には、『サージェント・ペパーズ……』もホワイトアルバム(『ザ・ビートルズ』)も『ベガーズ・バンケット』も出てきません。彼女は映画を観に行かない。いや、パゾリーニは観ている。パゾリーニか……。そして小田実を、高橋和巳を、ヘッセを、太宰を読んでいる。真面目なのです、とにかく。
繰り返しますが、もういいよ、やめちゃおうよ、強い人なんかいないよ。そう思い続けながら、3冊、読んで行ったのでした。いまの二十歳の子が読んだら、いったいどう思うのかな? ちょっと感想を聞いてみたいな。そう、思ったりもするのです。
てんで非論理的なことを言いますが、この暴力と肉体と政治の時代があって、そこでギチギチに葛藤した、というより「させられた」二十歳の人々がいて、そこでなにかが濾過されて、そのあとのわれわれはわりあいに平穏に、ラクにやってこられたのではないか。なにかそんな気がしてなりません。むろん、今のロスジェネ世代の若い人たちがラクだとはぜんぜん思いませんし、私と同年代の人でも「二十歳の頃がいちばん苦しかった」という人もたくさんいるのでしょうけれど。
高野悦子さんは、その最初の日記が詩で始まっていたように、最後も詩で終わっています。『二十歳の原点』の中で、最も引用される機会の多い箇所でしょう、その冒頭の有名な4行。
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう
ここにあるカタカナは名詞ばかり。深夜二時三十分。この時彼女は、「ちっともきかない」睡眠薬をたくさん飲み下しています。音楽はすでに失われ、渡ろうとしています、向こう側へ。
最後に、個人的にいちばん好きな、高野悦子さんのカタカナの音楽が最大に鳴っている箇所を引用します。そしてあらためて、いまちょうど二十歳の人と、かつて二十歳だった頃に苦しかった人に、『二十歳の原点』を手にとってほしいと思うのです。
【デパートの階段を屋上へあがる途中、母親の腕のなかで駄々をこねて泣きわめいている三歳ぐらいの男の子がいた。大きなタコの赤い風船を「こんなの」といいながらほっぽり投げた。私はそれをひろって、サーといってしまうのを追いかけて坊やに渡したが、またポイと投げすててしまった。それをひろって今度は「ボク、風船いらないの」とにこやかにあやすように渡したが、またもやステテしまった。いい役を演じようとしたのだが、あの男の子は私の気持をみやぶってしまった。私があの風船を欲しかったのだ。】