しかもこの頃になるともうフシギちゃんは、人としてやっていいことといけないことの境目を微妙に踏み越えはじめてしまって。なんでそこまでやるようになったか。その動機はいまひとつ判然としないものの、どうやら、フシギちゃんにとって、自分の知っている彼氏のほかに自分の知らない無数の彼氏が存在するっていう(あたりまえといえばあたりまえの)事実が、なんとも悩ましい問題として彼女の心を乱しはじめていて。それからというもの、彼氏の携帯の履歴を見る。メールを盗み読む。履歴の番号にかけてみる。手帳を盗み読む。こっそり彼氏のあとをつけるようにさえなる。彼女はあきらかに壊れはじめていて、自分でもそれはわかっているけれど、でも、もうどうにも止まらない。まずいねぇ、まずいですよ。怖いはなしだねぇ。
もっとも、よくあるはなしではある、ストーカー症候群とでもいうかしら。でも、著者は、ここでひとりの平凡で善良な人間がだんだんと〈薄く希釈された悪〉になじんでゆく過程を、そのなだらかな変化を、移行を、じつに巧みに描いていて。すなわち、善と悪が(白と黒のように明快に分かれたものではなく)、むしろグレイスケール(白からはじまり淡い灰色からだんだん灰色が濃くなってやがて黒に至るその諧調をそなえた連続性)としてとらえられていて、そこで著者は白から淡い灰色への(無意識のなかで起こる)ひそやかな移行に関心を向けるんだ。著者はあきらかに自覚的にそこを描いている。ただし、まだこの作品は序の口なんだ。
すごいのは、『犬』でね。この作品もいちおう〈日常生活のなかの悪〉が主題ではあるんだけれど。物語は、引越し先の練馬の新居になぜか犬がやってきたところからはじまるんだ。語り手は「ぼく」、そしてほとんど主役級なのが同居人の女性、珠子さん。ふたりは同棲をはじめて二ヶ月めで、ふたりとも異性とつきあうこと一緒に暮らすことに慣れていない、いかにもういういしい。犬はどこからやってきたのかわからないながら、ふたりになつく、とりわけ珠子さんに。珠子さんはうれしそうだ、犬がかわいくってしかたない。しかしいくらなついたとはいえ、他人の犬であることはまちがいない、鑑札はないけれど、首輪はついている。不動産屋に連絡したところ、どうやら、まえの住人の犬であるようだ。そこで「ぼく」と珠子さんは、ふたりで元の飼い主の引越し先、武蔵野市まで、犬を返しに行く。飼い主は竹田まりあという派手な若い女で、せっかく犬を届けてあげたというのに、愛想も悪く、感じも悪い。
さてその翌日からというもの珠子さんはなんだか犬が気になって仕方なくなる。けっきょく犬を見に行くことをおもいたつ。しかも飼い主の竹田まりあをとおして犬に会うのでなく、彼女の家の近くから、そっと黙って犬を観察するのだ。かなり不気味な光景だ。しかもいつしかそれが彼女の毎日の日課になってゆく。珠子さんの帰りは毎晩遅い。「ぼく」はさすがに不審におもい、もしかしてこれはひょっとすると浮気かもしれないぞ、と疑うようになる、でも、念のため、まずは例の犬の飼い主の家の周辺へ行ってみることにする。するとなんと(まさかとおもったが)珠子さんは、夜更けに、ほんとうに犬を観察しつづけているのだった、飼い主の家の前のコインパーキングの入口の鉄柵に尻を乗せて。「ぼく」はその場で珠子さんに話しかける自分に耐えられず、そのままそっと引き返す。「ぼく」の心に、暗いものが広がってゆく、これなら浮気されたほうがよほどましだった。
翌朝、珠子さんは宣言する、あの犬を取り返すことにしたわ。珠子さんは「ぼく」に訴える、どうやら犬は散歩にもろくに連れていってもらってないようだ、餌を満足に与えられていないかもしれない、飼い主の竹田まりあは夜の商売をしていて、しかも彼女の情夫がたまに散歩をさせる途中で機嫌悪そうに犬の腹を蹴ったりする光景さえ見た。だから、珠子さんは言う、犬を取り返しに行く。