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子どものために親が自分を犠牲にするという価値観が、およそほかのどの国よりも軽視されている現在の日本では、子どもも親の変化を反映して変化した。両親への敬愛が、子どもの心から薄らいだのがその一つだ。〔中略〕これらの事実は、問題はまず親の側にあることを物語る。生まれたとき子どもの視界にあるのは、親自身と親のつくり出す世界である。子どもにとっては親が全てだ。問題が発生すれば、それは親によってつくられたものだ。
だからこそ、教育によって私たちの社会をよくしていくには、親が変わらなければならない。それにしても、どんな親になればよいのか。急速に変わる地域社会で、親たちはもはや、親としての心構えを家族代々の知恵として自らの母親や祖母らから学ぶことができなくなっている。その空白を埋めようと、今、日本でもようやく親のための学び、親学が生まれた。
櫻井よしこ「『子育て』は『親育て』と同義 親学の開始こそ日本人再生の糸口に」、 「櫻井よしこ ブログ!」 (2007年3月3日更新、2008年6月30日確認)
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汝ら母親自身も、そのまた「母親や祖母ら」も、もはや信頼と尊敬に値する「育児の専門家」には非ず。親と子の、ひいては現代の日本社会の抱えるありとあらゆるオトロシイ問題の元凶は汝らであるぞ。よって、子育ての闇に惑う汝らウゾームゾーどもを救うべく、ここに「親学」―育児についての「健康と疾病の領域を定義する専門家」の学―は光とともに降臨せり。従え、従え、さすれば汝らが子らの健康と安全は守られん…。
かくして、「我に従え!パワー&コントロール!」とばかりにギラギラと威圧的な識者の皆様の言葉と視線に押し潰されつつも健気に従いつづけ、身と心を削って右往左往をつづけている世の多くの乳幼児の保護者たちに対し、本書の副題に掲げられた「親の主体性をとりもどす」というメッセージは、シンプルながらも心強く響くものです。
本書の冒頭では、明治期以降の急激な社会制度の変化、産業の発達、環境の変化などによって、めまぐるしく子育てのルールやスタイルが変遷してきた歴史が紹介されています。同時に「過去に集積された知識の上に、現在の知識が積み重ねられていないので、ぷっつりと連続性の断たれた技法がばらばらに眠っている」と現代日本における状況を分析し、「子育ての技法を歴史のなかに位置づけ直し、未来の子育てを考えるための土台を築く必要がある」との力強い宣言がなされます(21ページ)。そして、1964年に最初に発行されて以来現在に至るまで、「事実上育児の国定教科書」としての権威をもってきた母子健康手帳副読本の記述の変遷を中心に、子育てをめぐるさまざまな言説のリサーチを通じて、子育てのスタイルおよびルールの具体的な変遷のプロセスが明らかにされてゆきます。