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電車の運転―運転士が語る鉄道のしくみ

何事もない「平凡な毎日」こそプロフェッショナルの誇り。
ただし、許されるのは10秒以内。

宇田賢吉
中央公論新社中公新書ノンフィクション] 国内
2008.05  版型:新書
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レビュワー/堀和世

「はじめに」の中には、こういうことも書いてある。<鉄道の単なるPRではなく、興味本位に偏らず、電車が何事もなく目的地に着くまでを解説してゆきます>。ああ、と私は声を出しそうになる。毎週いかに読者の「興味」をかき立てるかに追われ、時として羊頭狗肉の見出しありきで記事を書く週刊誌記者は冷水で顔を洗ったような気持ちになる。

「この記事は、会社員の田中さん(47)が朝早く家を出て、夕方何事もなく帰宅するまでを描きます」なんて書く週刊誌はない。何事もなければニュースにならない。当たり前じゃないか、と言われればそれまでだが、同じ出版物というジャンルをものする立場として、最も気を使う書き出しに「何事もなく」とつづる意味を、私は考える。つまり、それが電車の運転士にとって一番大事にしていることだと、はっきり分かるのだ。

日ごろから気に障っているのだが、例えば私がいつも利用する東京の私鉄線は、ラッシュ時間帯に乗車すると車掌がしょっちゅう「列車は池袋駅に2分遅れで到着しました。お急ぎのお客さまには大変ご迷惑をおかけしました。厚くおわびいたします」と車内アナウンスで謝っている。

謝ることか――と思う。電車がたった2分遅れて「迷惑」をこうむってしまう人は、朝にもっと早く起きるべきである。また、最寄りの駅から電車に乗ると「ただいま列車は5分遅れで運行しております。お急ぎのお客さまには……(以下同文)」と教えてくれる場合もある。大体、都心を走る電車は5分おきくらいにやってくる。私は本来5分前に行ったはずの電車に今乗った、ということだ。全然困らない。

「厚くおわび」なんて、そんな重々しい表現を軽々しく使うな、と思う。それでなくても言葉がどんどん薄っぺらになっている時代である。謝る気持ちもない(確かに謝る必要はない)のに形だけ謝ることが、世の中にどれだけの害悪をもたらすことか。言葉への信頼感がどんどん損なわれていく。

しかし、この本を読んでから、車掌は「本気で謝っている」のかもしれないと思い直した。先述したように、鉄道のプロにとって「何事もなく」こそ肝心要だが、具体的にどういうことかといえば、「定時運転」を指す。電車が時刻表通りに動いていることが、顧客満足の条件であり、同時に事故や故障などトラブルが起きていないことの証明になる。

では、定時とは何か。著者が実在の路線の運行に即して運転士の一挙一動を説明した個所に、こんな記述がある。<ドア表示が点灯した。出発信号機を見て両方の喚呼を行う。「出発進行」「発車」。右手はブレーキを緩め位置へ、左手はマスコンを5ノッチへ。コクンと起動。遅れは4秒。10秒刻みで読むので端数を切り捨てて定時だ。喚呼は「定発」>

つまり、定時運転とされるには10秒未満のずれしか許されないということだ。秒単位の物差しで仕事をしている人にとって「2分」「5分」は、確かに「たった」ではない。事実、この本には「秒針に追われる運転士」という表現が随所に出てくる。忙しい現代人なら「1秒でも惜しい」とはよく使う言い回しだろうが、「まえがき」に見られる著者の態度からしても、決してレトリックではない。

例えば、駅に電車が停まる。車掌は当然、電車が確実に停止したことを確認してドアを開けるが、運転士にとってはそれがもどかしい。客の乗降が終わると、車掌がドアを閉める。すべてのドアが閉まると運転室に表示灯がつく。これが同時に発車の合図となり、運転士はノッチ投入(電車のモーターを制御するマスターコントローラー=マスコン=を操作すること)して起動させるのだが、著者はこう書く。<ドア機構の差もある。車掌がドアのスイッチを扱ってからドアが動くまでのロス時間である。JRの103系は1秒以上の遅れがあり、遅れの回復に努めているときは歯がゆい思いであった>。

ことほどさように、電車の運転士が「定時運転」にかける意気込みはすさまじい。この本には、乗客に衝動を与えない発車の仕方とか、駅のホームに並んでいる乗客の前にドア位置をピタリと合わせて停める方法といった「プロの技」が満載されている。私自身、そういうことが知りたくて本を買ったわけだが、読み進めていくと、電車の運転士が経験で培う多くの技術は、結局いかに電車を遅らせないか、に結びついていることが分かる。

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電車の運転―運転士が語る鉄道のしくみ
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中央公論新社中公新書ノンフィクション] 国内
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