で、この167分間のフィルムの中で、短いながらも3回登場し、「あれ? これって小説に出てきた?」とソワソワせずにはいられない小さな生き物がいた。日本語では「ハチドリ」と訳される「hummingbird(ハミングバード)」である。ベンジャミンが働くことになる船の船長(このような人物は小説には一切、出てこない)が、バーで酔っ払って、「いいか、ハチドリってのは1分間に千回も心臓が鼓動して、1秒間で80回も羽ばたくんだ。しかもよ、速すぎてもちろん見えねえけど、超スローモーションで見ると、その羽ばたき方は、ちょうど数字の8の字を描いてる。8の字ってのは、つまり∞(無限大)ってことだぜ!」と大声を張り上げるシーンは特に強い印象を残す。
映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は、死の影に濃く彩られた作品でもある。なぜか。歳を取るほどに若返るという男は、自分の周囲で老いていく人々を、残酷なほどのその生命の輝きの落差の中で、次々に看取ることしかできないからである。その残酷さに対して、明らかに映画が用意したものがハチドリだと思う。隠喩なのかアナロジーなのか、はたまたメッセージなのか、それはわからないし、分析せずともいいような気がする。しかし、普通なら3回は出さない。これは異常である。人間から見て、ハチドリの持つ尋常ならざる羽ばたきの回数、そのバイブレーションは、どう見ても、「生命」と関わっているだろう。映画では、そのように見える。さて、小説にハチドリは出てくるか? これもまったくの、デヴィッド・フィンチャーと脚本家エリック・ロスのオリジナルなのか。
あった。いや、なかった。どっちだよ! ハチドリ(hummingbird)はいなかったが、小説には代わりに「ハチ」(bee)がいた。こんな場面である。
【二頭立て馬車に乗って帰途についたのは夜が明ける直前で、朝一番の蜂たちがブンブンとうなっていた。冷たい朝露に包まれた薄く光る月が消えかかるとき、ベンジャミンは父親が金物の卸売りについてしゃべっているのをぼんやりと聞いていた。】(都甲幸治訳)
【蜂が朝はじめてのブーンという羽音を響かせ、冷たい朝露に映る月がぼやけていく夜明け前に、二頭立て四輪馬車で家に向かいながら、ベンジャミンは父と話し合ったときのことを思い出した。】(永山篤一訳)
ハチは昆虫であり、ハチドリは鳥だけれども、そもそもハチドリ(hummingbird)の「hum」という音は、先の日本語訳で「ブンブン」「ブーン」にあたる生命音であり、そのネーミングは「ハチみたいにブーンという音を立てている鳥」ということだ。しかもハチドリは常に花の蜜のあるところに生息し、体重が2グラム(!)~20グラムと、世界一小さい鳥の種類でもある。要するに、まるっきりハチみたいな、ハチに成りそこなったような鳥なのである。
ハチ→ハチドリへの転換が明らかにデヴィッド・フィンチャーによるフィッツジェラルドの小説に対する批評であり応答であると筆者が確信するのは、もう一つ、こういう場面があるからである。永山篤一訳から引く。