ちなみに、本書の刊行は2008年8月。反応は上々だったようで、続編のリリースも決定。同じくミュージック・マガジン社より『猫ジャケ2 もっと素晴らしき“ネコード”の世界』が予定されている(2009年3月13日発売)。
ところで、レコジャケ本は、どうしてもノスタルジックな空気をまとってしまう。それはレコードが、メディアとしての役目を終えてしまったことに起因するのだが、今後、ポピュラーミュージックの世界では、音楽とグラフィックの結びつきは、緩くなっていくような気がする。いや、「今後」ではなく、「すでに」かもしれない。
たとえば、若年層に人気のバンド、GreeeeNは、デビュー当初からケータイでの配信を念頭においていた。彼らのジャケットは、ケータイの小さな画面でも認識できるようにデザインされており(LPジャケットが30センチ四方だったのに対し、ケータイでの表示は1センチ四方である)、実際、サードシングル「愛唄」は、着うたダウンロードで全キャリア1位を獲得した。
幸か不幸か、評者は着うたを利用したことはない(そもそも、ケータイを所持していないので)。しかし、iTunes Storeで楽曲をダウンロードすることは多々ある。再生装置が故障したこともあり、ここ最近、iPodの使用頻度が高くなっているのだが、我ながら、つくづく音楽の聴き方が変わったなと思う。というわけで、細川周平『ウォークマンの修辞学』(朝日出版社、絶版)を読み返したい誘惑にかられている。
ポピュラーミュージックはパッケージ型から配信型に移行しつつある。評者は、世代的な限界(LPやCDを通して、音楽に親しんだということ)から、そのような状況に複雑な思いを抱いている。一方で、音と視覚情報の結びつきというものは、はたして本質的なものなのか、という疑問もある。なぜなら、LPレコードの登場は、前世紀中葉であり、裏を返せば、楽曲とグラフィックを一体化して捉える感覚というものは、たかだか60年程度の歴史しか持っていない、とも言えるのだから。
MTV的感受性の延長線上にあるYouTube、さらに、その先の状況を示唆するニコニコ動画の隆盛を眺めると……、だんだん話が大げさになっていくので、このあたりで止めにするが、メディアの変遷を追ったとしても、要は「歌は世につれ、世は歌につれ」ということなのだ。レコードからコンパクトディスクへ移行したように、新しいテクノロジーの登場にともない、容れ物も変化していく。しかし、我々が音楽を必要としているという事実は、つねに変わらない。