二〇〇九年は、太宰治と松本清張の生誕一〇〇年で盛り上がったが、実業之日本社が一九〇八年に創刊した(一九五五年に終刊)少女雑誌「少女の友」も誕生から一〇〇周年を迎えた。それを記念して、雑誌の記事やイラスト、「少女の友」に影響を受けた作家やイラストレーターのインタビューをまとめた『少女の友 創刊100周年記念号』、「少女の友」が全盛だった一九三〇年代に中原淳一がデザインした付録五点に、一九三八年一月号の復刻版を加えた『「少女の友」中原淳一・昭和の付録お宝セット』、安野モヨコが「少女の友」をモチーフに描いた版画を載せたビジュアルブック『蔦と鸚鵡』(すべて実業之日本社)が相次いで刊行された。一連の一〇〇周年記念企画のトリを務めることになったのが、「少女の友」で最も人気が高かった小説『乙女の港』の復刻である。
『乙女の港』は、横浜の基督教女学校を舞台に「S」(エス。シスターの略で、上級生と下級生の友情以上恋愛未満の親密な関係)の世界を描いたこともあり、最近は、百合萌えの源流のひとつとして評価が上がっているようだ。一九八五年に国書刊行会から「淳一文庫」の二巻として復刊されているので、読むだけであれば入手が難しい作品ではないのだが、国書刊行会の復刻は、一九四六年のひまわり社版を底本にしていたので、やはり古書価が高く手の届かなかった初版本が装幀も仮名遣いもそのままに完全復刻されたのは、非常に喜ばしい。
しかも、本文を新字新仮名に改め(初版本の誤植も修正されている)、初出誌に掲載された中原淳一の挿絵をすべて収録した「新装版」もセットされた全二冊という贅沢な構成になっているのだ。このあたり、雑誌の版元が企画した強みが遺憾なく発揮されているので、小説が読みたかった人も、中原淳一のイラストが目当ての人も、両方とも満足できるだろう。
『乙女の港』は、附属幼稚園からエスカレーター式に上がる生徒が多いなか、選抜試験で途中入学した三千子が、二年上級の洋子と「S」の関係になるところから始まる。基督教女学校では、「S」は「お姉さま」と「妹」の“一夫一婦制”というルールがあるのだが、二人の間に一年上級の克子が割り込んでくる。夏休み中、避暑先の軽井沢で克子と再会した三千子は、克子に自転車の乗り方を習ったことで親しくなり、洋子と克子のあいだで板挟みになっていくのである。
おとなしくて家庭に不幸を抱えている洋子とスポーツ万能で活発な克子という明確なキャラクターの対比や、三角関係を軸にすることで続きが気になる物語を作るテクニックなどは、とても七〇年前の作品とは思えない。ただ、三千子と洋子の視点が次々変わるので、時に誰の台詞や行動か分からず戸惑うことも多かった。これは当時の小説技術から見ても稚拙なのだが、もしかしたら、あえて傷を残すことで、あたかも実際の少女が書いた手記なのでは、と思わせる効果を狙ったのかもしれない。
併載されている短篇『薔薇の家』は、ある農村を舞台に、新任の美人女教師と女生徒の交流を描いているので、川端の「S」系小説の傑作『朝雲』の原型といえるかもしれない。『薔薇の家』も、広い意味では「S」ものになるのだろうが、物語の舞台が都会の横浜から農村に移され、女性同士の「友愛」も、恋愛感情より友情(というか子弟愛)の方が強調されている。『薔薇の家』は、「少女の友」のライバル誌で、良妻賢母という保守本流を進むことで教師や父母に認められ、圧倒的な売り上げ部数を誇った大日本雄弁会講談社の「少女倶楽部」に掲載された作品。
実は「少女の友」も創刊当時は保守的な記事が多かったのだが、大正末期から「少女倶楽部」の圧力を受け、路線転換を決意。田舎の純朴な少女にアピールするような良識的な読物で人気の「少女倶楽部」に対抗するため、都会的でスタイリッシュな誌面へとシフトしたのだ。そのために採用されたのが、中原淳一のイラストであり、『乙女の港』に象徴される「S」小説だったのである。『乙女の港』と『薔薇の家』の作風の違いは、そのまま掲載雑誌のカラーの違いでもあるので、少女小説の系譜を知るうえでも参考になる。こうした事実が確認できるだけでも、本書が刊行された意義は大きい。
『完本 乙女の港』は作品に接する分には申し分はないのだが、付けられているオマケがやや中途半端。初版本と新装版の本文校訂一覧があるのだが、校訂表のように研究者向きの資料を作るのなら、初出誌と初版本の校訂表も付けてくれよ、と思ってしまった。「少女の友」には「トモチャンクラブ」という投稿欄があり、そこが読者の交流の場になっていた(現代でいえば、雑誌公式サイトのBBSといったところか)。その「トモチャンクラブ」も一ページだけ再録されているのだが、『乙女の港』連載中のすべてを再録してくれれば、当時の読者の意識の変化がうかがえる貴重な資料になりえただけに、やはり隔靴掻痒の感は拭えない(「少女倶楽部」と違い、一九二〇年代から三〇年代の「少女の友」は公共図書館でも見ることが難しいので、このあたりでも版元の力を活かして欲しかった)。マニアックな本なので、初版本を持っていても、オマケの内容を見ただけでもう一冊買いたくなるような、もっとマニア向けに作ってくれたらとの想いが強く☆☆☆☆。
ちなみに、『乙女の港』は、中里恒子の原稿に、川端康成が赤を入れて完成させたことが分かっている。これは現代的意味でのゴーストライターや合作というのではなく、立作者が弟子を使って物語を作った近世の創作工房に近いものではないかと考えている(同じ頃、菊池寛や佐藤春夫も同様の方法で小説を書いているので、このようなケースは決して特殊なことではなかったはずだ)。ほとんど話題にならなかったが、一九〇九年生まれの中里恒子は、太宰や清張と同様に二〇〇九年が生誕一〇〇年だった。本書は、それを寿ぐ企画としても記憶されるべきである。
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